[285]新たなチャレンジ

  5月で起業して 9年目を迎えます。数年前、ある会合で出会った税理士の方から「起業されるのに随分悩まれたでしょう?」と聞かれましたが、実はほとんど悩みませんでした。資本金の 1,000万円は退職金の一部を充当しただけです。もともと趣味は仕事以外にほとんどなく、自分にお金を使わなかった人生だからそのくらいのご褒美をあげても良いと思いました。高級車か宝石のかわりに自分の会社を自分に買ってあげたようなものです。これも投資の一種で、仮に 100万円しかリターンがなくても年 1割の利回りでそんな良い金融商品は他にないと思えば気持ちがとても楽になった記憶がします。
 「起業すれば、儲けても、儲けなくても、辞めるまで悩みはつきることがない。」とよく言われますが、特に私のような 1人企業の場合は「孤独に強い」「自己完結型の仕事能力」「向上心」が必要だと思います。会社員時代の女性総合職の先輩の「専門家に依頼するのはお金さえ払えばいつでもできるのだから、知識を広めるためにもできることは何でも自分でやってみたら」というアドバイスはもともとケチで猜疑心が強く、依頼心のかけらもない私の性格にぴったりフィットしました。法人登記も自分ひとりでやりましたが司法書士に頼むより早かったと思います。法人決算も最初は専門用語に苦戦しましたが、今では税務署員なれば良かったと思うくらいです。
 会社員時代は船舶、化学プラント、経営企画、新事業、物資とあらゆる分野を経験し、 2度出向経験もあり、 M&Aも手がけたことがあります。しかしながら、昔の経験やノウハウだけでは独立したプロとして生きてはいけないと思い、常に新しい事にチャレンジしてきました。切花の輸入、国内外の公的機関向けのお仕事、専門分野での執筆などは起業して新しく得た経験やノウハウです。
 今新たに挑戦しているのは、酒類の輸出です。輸出は免税取引ですので酒税の免税処理の書式をどうするかで鹿児島と新潟のメーカー、通関業者、税関、税務署間で見解の違いがあり調整に時間がかかりましたが、「大変良い勉強をさせていただいた」と申し上げたところ、皆さん同じようにおっしゃってくださったので連帯感が一気に強まった気がしました。「面倒くさい」「不快だ」と怒る人も世には多いことでしょうが「良い勉強」と思える向上心や懐の深さを持つ方々に出会えて本当にうれしい一瞬でもありました。
 日本の製品輸出拡大、日本食という文化の輸出、地場産業の発展、という意味でも酒類の輸出は国策に沿ったものです。日本と相手国の「国策」をチェックすることは貿易を考える上で重要です。通常は利益や需給バランスのみに踊らされがちですが、国策にあうものは奨励制度などがありスムーズかつ有利に取引が進みます。特に鹿児島のメーカーは商社経由はもちろんのこと、自社でも直接コンテナ単位で輸出しているとのことで、工業製品の輸出国日本ではなく、クオリティの高い農産物、加工食品の輸出国という新しい顔も見えてきたような気がします。
河口容子
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 世の中には「貿易なんて面白そう」「貿易なんて簡単」といとも簡単にビジネスを始める方がたくさんいらっしゃいます。確かに外国やその文化、製品に興味がある人にとっては面白そうに映りますし、設備投資が不要という意味では簡単かも知れません。ところが現実はそう甘くはありません。
 一つ目の例。商社を一人で始めたが東南アジアで何が売れるか教えてほしい、輸出実務ができないので代わりにやってほしい、という相談がありました。中国や東南アジアでは日本製品が飛ぶように売れると聞いたのでそういうビジネスに興味があるというのです。聞けば特定の商品を持っているわけでもなく、確たる仕入先もなく、貿易に関する知識もまったくありません。商社なら輸入か国内商売はしているのか、とたずねると「まだ始めたばかりなので何も」と口ごもります。「では、あなたの機能は何で、何に対して利益を得るのですか」とたずねたところ、無言でした。起業さえすれば勝手にビジネスが転がりこんで来ると期待する人は実に多く、特に大企業の管理職をリタイアされた方によく見受けられるパターンです。退職金が入るので大船に乗った気分になるのと、また自分自身への過信もあるからです。
 二つ目の例。韓国の買い手と日本のメーカーを見つけたが、資金がないので代わりに決済してくれないか、というものです。実は私はこの日本のメーカーの行動パターンをよく知っています。韓国の買い手の条件が少しでも良ければ、どんな手を使っても直接取引を仕掛けるはずです。おとなしくしているとしたら、まったく旨味のない話なのでしょう。あるいはこの問い合わせの主は自分で決済できなければ、どちらからも手数料をもらえない状況にあるのでしょう。自分の立場と利益を確保しないでビジネスをしようとするとこんな羽目に陥ります。国内のビジネスでも同じですが、モノの流れとお金の流れをきちんと組みたてておかないと自分はいつの間にか蚊帳の外、というパターンになります。聞けばたいした金額ではありません。その程度の資金もなく、借り入れもできない見ず知らずの人の願いをかなえてあげるほど私はお人よしではありません。こういう場合、冗談半分に「あなたが私の立場だったらお願いをきいていただけますか」とよく聞くのですが「嫌だね」と異口同音に答がかえってきます。
ビジネスはまずはスキーム全体をきちんと組み立てることから始まります。一つ目の例は「ままごと」レベルにも達しません。二つ目の例は決済能力がなければ仲介手数料をいただくという手段もあるのですが、そういう場合は条件を示して事前に双方あるいは少なくとも手数料をいただく側から了解を得ておかねばなりません。
まず、自分は何の役割あるいはリスクに対して益を得るのか、そしてその利益率は妥当なものかどうか。私の経験ではどんな商品あるいは商流においても適正利潤値というのはあります。取引の流れの中で誰かが不当に利益を得ているとその分どこかへしわ寄せが来ます。そういう形態のビジネスは長続きしません。利益率は業界や商品でだいたい相場がありますが、それは多くの試行錯誤から得られた適性利潤値であると私は思っています。
先週と 2週にわたって貿易を絡めたビジネスに関する基本的な考え方を書かせていただきました。サクセス・ストーリーはマスコミで大袈裟に取り上げられますが、その裏には何倍も何十倍もの失敗者がいるわけです。これから起業をめざす方には「ゆとり」という言葉を贈りたいと思います。起業すれば山あり谷ありの道を自己責任で進んでいかねばなりません。特に不遇のときも前向きに努力できる精神的なゆとり、生活を支えられるだけの金銭的なゆとりを持って起業することが大切です。
河口容子