この 5月10日をもって起業10年目に入りました。丸9年間での印象深い出来事は自宅の改造 2回、母の病気、私の手術とプライベートな事ばかりです。もともと母の高齢化を考え、家事をしながらたった一人でどんな仕事をいつまで続けられるかという実験も兼ねての起業でしたが、外にはオフィスをかまえない、 365日営業体制、で臨んできたからこそ達成できたとも言えます。
年に 1度、信用調査会社からデータの更新用に電話がかかってくるのですが「社長のところはもう長いから安心ですよ。」とお世辞半分に言われます。私自身は決して「長い」とは思っていませんが、起業してもほとんどが 1年もたたないうちに消えていくそうです。
会社員の頃からの知人である流通コンサルタントが「そろそろリタイアしかかっているから客観的にものごとが見えるのだけれど、あなたは中国への日本製品の輸出といい、ベトナムといい、いずれも他人に先駆けてやって来たからすごいなあと改めて思うよ。」と言ってくださいました。「私の会社は小さくてニッチなサービスを提供していますから、軌道に乗っている大きな仕事や誰でもやれるような仕事はいただけません。だから芽はあるけれどまだ皆が見向きもしないような所からしかお声がかからなかっただけです。」と私は笑って答えました。「それはやっぱり商社で培った勘があるからだよ。」確かに基本動作は商社で教わったと思うものの、一人企業だからこそ信用第一、自分の使命や社会貢献を意識しながら仕事をしてきました。また、尊敬でき、信頼できる相手を慎重に選んできたため、そこから人脈がどんどん広がったような気がします。
2002年から日本の中流の少し上の層が好んで買いそうな紳士服、婦人服、ファッション小物、インテリア小物、ギフト・アイテムなどを香港、中国向けに輸出し始めましたが、周囲からは「日本でも買えない人がいっぱいいるのに中国でそんなものが売れるとは思えない。」とよく不思議な顔をされたものです。昨年からは日本酒の輸出をスタートしました。中国は地域ごとに嗜好や消費性向が違うのと、日本人より熱しやすく冷めやすい案外難しい市場のような気がします。また、日本ではだいたい欧米の高級ブランド-日本製品-途上国の安価な商品という商品構成になっていますが、中国では日本製品は欧米製品と対等に比べられるわけですから、中国市場内での競争もおのずと厳しくなります。「衣」関連ではお金持ちはインターナショナル・ブランドを優先的に買い、日本製品については品質が良く割安感があれば買う、という感じのようで、日本製品は品質やデザインが良いから買う、珍しいから飛びついて買うという時代はもうとっくに過ぎ去っています。
香港も含めて中国の小規模投資家にとってはライセンス・ビジネスやフランチャイズ・ビジネスに関心が集まっています。私がパートナーをお引受けした香港のコンサルタント会社も日本や欧米のライセンサーやフランチャイザー探しに大忙しです。お金を持っていても投資するネタがないのでしょう。「共同出資なんかしていらないかわりに口は出すな。ただし、必要な事はしっかり教えて。」という按配で、まさに人民元札で頬をたたくような勢いです。
河口容子
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今年の東京の桜は開花宣言直後に寒気が居座り、満開までじれったいほど。こんなに長く桜を見ることができたのはここ何年かの間では記録的ではないかと思います。私の自宅は玉川上水跡の桜並木や善福寺公園にも近く、またご近所には庭内桜の古木から桜の花が滝のようにあふれ出ているお宅など、常に桜に囲まれた暮らしです。
親子三代、 100歳近い方が車椅子で、お茶会の帰りなのか和服姿の女性たちと心なごむお花見風景があちこちで見られました。不況下での「安近短」なのかも知れませんが、自然とのふれあいが戻って来たのなら不況も悪いことばかりではないと思いました。
2009年 3月26日号「サクラ」で触れた香港の D氏に桜の写真を何枚か送りました。「本当にグッド・タイミングです。 L先生ご夫婦に刺身をごちそうになって帰ったところなんです。あなたのおかげで素敵な 1日になりました。」と返事が来ました。お花見をしながら刺身でも食べた気分になったのでしょう。実はビジネス・パートナーの L氏の夫人が香港の高校で英語を教えていた時の教え子が D氏夫人というつながりです。
日本のクライアントの女性社員からは桜に寄せて日頃の感謝とお礼をというはがきをいただきました。イタリア留学経験のある彼女ならではの小粋さかも知れません。お礼にオフィスの窓から見える桜の写真をお送りしたところ、さっそくPCの壁紙にしてくださったようです。「ふと手を休める時や考え事をする時に無意識の視線の先にこの自然があるとは何とぜいたくな。」と彼女。
2009年 3月 5日号「春の別れ」で触れたベトナム大使館の S商務官の送別会を取引先と一緒に都内の日本庭園で行いました。夜桜を日本の思い出として持って帰ってほしかったからです。連休明けに帰国する S商務官は引き継ぎ、引っ越しの支度と忙しい中、休日には日本の春を惜しむかのように家族連れであちこち出かけているようです。
この日驚いたのは S商務官の日本語力です。取引先の方に英語を話さない年配の男性がおられ、目上の人を大事にするベトナム人らしく、また私たちと親しいということもあってか、日本語でハノイの桜まつりの説明までしてくれました。今まで英語でしか話したことがなかったので損をした気分です。英語と仏語の得意な S商務官は日本に赴任後スクールに通ったそうですが、日本留学経験のある夫人に上のお子さんが幼稚園に通っていれば上達するのも当然。
「このローストビーフおいしいですね。どこの肉だろう?」と取引先の I氏。すかさず「サガギュ(佐賀牛)」と S商務官。「参りました。」と日本人全員。
「北朝鮮のミサイルはこわかった?」と S商務官が私に聞くので「いいえ。」「どうして?」「だって逃げる暇もないじゃありませんか。」取引先の T氏は「ベトナムって北朝鮮とは仲がいいんですか?社会主義国だから交流がありますよね。」「はい、ベトナム戦争の時は北朝鮮が支援してくれましたから友好国です。」「ベトナムって米国も中国もロシアも仲がいいんですよね。そういう国に北朝鮮問題を手伝ってもらえばいいのに。」と T氏。
「商務参事官は 2度目の日本ですから Sさんもきっとまた日本に赴任されますよね。それまで私たち長生きして待ちましょう。」と私。取引先の方々は皆私より年上、一方、 S商務官は30代。一気に明るい笑顔が広がりました。眼下にはライトアップされた大きな夜桜。「ロマンティックですね。ここへは初めてです。本当にきれい。子どもたちは日本で生まれたのでベトナムに慣れるまで大変です。」
春は桜、桜は春。今年もいろいろな思い出を作ってくれました。
河口容子
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