船長のリアンに「シーボルトを知ってる?」「ハウステンボスは?」「日本が鎖国していた時代にオランダとの貿易は盛んだったのよ。明治生まれの祖母は私の外国人の友人達を見るといつも『オランダ人』と思っていたくらいなんだから。」とオランダと日本の長い付き合いをアプローチしてみたら、彼は「日本人と接するのは初めてだけど、ヤマハのモーターはとても良い製品。」と言われてしまった。
リアンの言っているヤマハのモーターは「オートバイ」という事ではなく、彼の運転する船、プランセス・ロワヤル号の横をすいすい通る小型モーターボートの事を示していました。私も何度か船のデッキから見ましたが、この水の中の王国、オランダでは水路沿いにボートハウスの多いこと。家族揃って数キロ先のおばあちゃんの家に遊びに行くという人たちが乗っていたボートのモーターもヤマハでした。
私達の船は羊や牛がたむろする田園地帯、艶やかな色がカラフルな絨毯を作るチューリップや水仙の畑、大きな町の繁華街沿いや大型石油タンカー、商業船が隣を走るそんな水路を行きました。永遠と続く緑の牧場に点在する白い牛にただ見とれるばかりのフランス水路に比べ、こちらは走馬灯の様な景色を写真に押さえるのに忙しい限り。
更に中型で小回りの聞くこの船は度々、私達を観光地まで運び、下船する際に大型バスで移動してきた他の観光客の羨望のまなざしとため息を聞きながら船の名前通り「お姫様」気分。
オランダは風車が有名なのは知ってましたが、その用途が干拓にある事や、様々な種類、戦争時代にはレジスタンス活動する人達のための暗号にもなっていたと知ったのは初めてです。1970年代に建設された芸術家の村、ザーンセ・スカンスでは現在も稼動している風車小屋で落花生油の精製、チーズ小屋ではゴーダチーズの製造、ユトレヒト陶器の絵付けなどを見学。
木靴博物館では日本の下駄は木靴に由来するものと知りました。考えてみれば下駄の前はわらじだったのだから、すごいものをオランダ人は持って来たわけです。木靴の材料は水気の多い、ポプラの木だそうです。だからオランダはポプラ並木が多いわけだ。木靴製造行程のデモンストレーションを見て解説を聞くことでオランダ人と木靴の関係をお勉強。面白くかつ関心したのは「密輸品を輸送する時に穿く」という木靴は足跡が反対になるように靴底が造られていたという事。
夢路とみこ