[104]ソーヌとローヌの落とし子

リヨンを表した言葉にこんなのがありました。フランスを流れる4つの大河、セーヌ、ロワール、ガロンヌ、ローヌの中でローヌだけが男性名詞、ル・ローヌなのはやはり別名猛牛ならし、英語でRaising Bullと言われるほどによく氾濫を起こす荒くれ河だからだそうです。そんな荒くれな河に嫁いだ深窓の令嬢のようなソーヌ川はちょっと小生意気なでも愛くるしいリヨンという町を産み落としました。
地中海の水からなるローヌはとても青く流れも急です。一方アルプス山脈の雪解け水からならソーヌは緑が深く流れも穏やかです。リヨンから南に掛けて下ってゆくと途中この二つの川の合流地点があり、そこで水の色が二つにくっきり分かれているのが見えます。リヨンが三角州の上に立つ街であることが実感出来ます。
リヨンは横浜と姉妹都市というだけあってシルク貿易で栄えたという歴史があるせいかシルク製品の店も多くその伝統的な製法は今もカニュと呼ばれる機織職人たちに頑なに守られています。またリヨン芸術のひとつであるギニョールとという人形劇はフランスの各地で今もなお上映されています。リヨンにはギニョールを初めとした南仏のサントン人形の博物館もあり横浜の人形の家を思い出させます。

昔からこの街が商人の町でまた貿易により栄えていたということはリヨン中とも言える美しい窓ガラスだらけの家屋で良く分かります。中世の頃は窓税というのがあったらしく窓枠の数で税金を取っていたらしい。徴税人は建物の外から窓の数を数えて税金の額を決めていたようです。同じ窓税の歴史を持つディジョンでは窓の殆どを建物の中、中庭側に作り徴税人の目を盗んだようですが、貿易で潤っていたリヨンの商人たちはその権力と財力を誇示するためにわざと細かく窓枠を増やし、そしてそれらは全て外から見えるようにしていたとか。お陰で今日リヨンの外観を美しい窓たちが飾ります。夜になると住宅に明かりがつくのでとても綺麗です。リヨンが別名「光の街」と呼ばれるのもまったく納得。
パリに次いでの第二の都市リヨンは愛国心でもパリに次いだ歴史があり、ドイツ軍占領下時代にリヨンはパリ同様にレジスタンス活動の中心地として知られます。世界遺産に指定されている旧市街のトラブールを見学するとき、この迷路のような場所を逃げまくり抵抗したレジスタンス活動家たちを思います。彼らのお陰で今日のリヨンの美しさがあることに感謝します。
ローヌ郡観光局
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夢路とみこ