[124]別れても好きな仕事

カラオケ好きの私が一人良くハミングする名曲はシルヴィアとロスインディオスの「別れても好きな人」。この曲の中で「ダメよ弱いから」という歌詞がありこれが全く私の船に対する心情を表している。
解雇通告を受けたその日にオフィスから放り出されたので本来はすぐに就職活動になるはず。でも新経営者陣は私が船へ添乗する仕事もしていたことを露知らず解雇したものだから大混乱。シーズンオフまで誰が添乗するの?このディジョンで3ヶ国語を使って朝から深夜まで働く日本人はいないよ。


天地がひっくり返るほどに大混乱した私と会社。私はベソをかきながら「突然解雇された」と周囲に涙の報告。会社は大至急私の後任探しで奮闘。次の日本人クルーズは3日後。4年かけて私が築いたものを3日でこなせるはずがない。べそかき電話とメール送信で半日が過ぎ、翌日は半日眠りこける。眠りから覚めてボケーとしたたら新社長から電話があり「今週末のクルーズ行ってくれ。特別手当を出すから。」お客様の乗船はあさって、明日には乗船しないと間に合わない。クビにした会社にはムカツクが、こちらの事情を知らないお客様が可哀想。それに日本からの添乗員さんは私も良く知っていて3度目の乗船、見捨てるわけにはイカンと涙を拭いて、鼻をかんで、ワインをググーと一瓶飲み干して仕度を始めた。
翌日お客様が到着。送迎バスの降り際、私に向かって歓喜の声がする。数名のお客様が3度目のリピーターだったのです。「楽しかったからまた来るよ」の言葉を励みに頑張ってきたから本当に「また来たよ」の言葉が朝6時からの朝食の支度、真夜中まで掛かる後片付けの疲れを吹き飛ばしてくました。
これが私の最後のクルーズになるとは知らないお客様がこれまでの私とのクルーズの思い出話を他のお客様に楽しそうに語ってくれる。「今回のセーヌ川も良かったから秋のローヌ川も来るわよ。とみこちゃんよろしくね。」と言われ胸キュンに。セーヌ川を漂うようにクルーズしながらノルマンディーに向かう。白と黒のぶちや茶色の牛の数を数えながらブルゴーニュのシャロレー(白い牛)とは違うと思いながらも出るのは涙ばかり。
2000年5月、初めてうちの船に乗ってパリ、サン・マルタン運河を抜けシャンパーニュ地方へとクルーズした時の感動が私をこのホテルバージ(滞在型観光船)に惹き付けた。あっという間の4年間だった。別れても好きな仕事、だからきっとまた船に戻って来るでしょう。
夢路とみこ