2年ぶりにアナコリュート号に乗った。最後に乗ったのは突然解雇のすぐ後で、その次に見たのはパリに移ろうと決心した日。古巣の船会社に戻りアナちゃんと一緒に再出発。正直言って生活苦だけどでもアナちゃんがいるから私はパリを離れられない。アナちゃんと一緒に沈没するまで頑張るんだもん。
今回はアナちゃんの取材に日本からジャーナリストが数名来て、その案内役として添乗。定員50名のうち日本人は5名、残りはアメリカを中心とする英語圏の人ばかり。6泊7日の船旅、さて我々日本人はガタイの大きな英語圏の人たちに押されてしまうのだろうか。
アメリカ人はとにかく陽気、ハーモニーを大切にするから同乗するのは本当に楽しい。その中に一人、とあるアンクルサムが私に擦り寄ってくるではないか。どうやら同じデジカメを所有しているのが気に入ったらしい、そして充電器を忘れたことも理由のひとつ。このサムさん、現役のときは相当のビジネスマンだったのが伺える。今は引退してただのお子チャマのよう。昼間サロンでジャズピアノを弾いてたかと思えば、夜は食事の後にギターでフォークソングで他の客を魅了していた。たまげたのは、セーヌ川の夜クルーズでカラオケを始めたこと。バリバリの英語訛りの仏語で謡うフランス童謡に他の船からも喝采が。現役中に仕事人間に徹することなく、このような教養も身につけるとはあっぱれ。
その侍は食事の席に着くと必ず自分から周囲に話し掛けていた。相手の出身地を伺い、その地を訪れたときの話などを始め、自分から殻を割って周囲を引き込んで行った。その侍は自ら英語は苦手と言いながらも、ためらうこともなく堂々とした態度で。側で聞いていて確かに流暢でなかったけど、その誠実な語り口が温かみを感じさせる。
語学は苦手だからと言いながらも、外国語で現地の人と口論したことがある事を自慢する同輩は少なくない。毅然な態度で打ち負かした事を誇示するけれどどうなんだろう。限られた語学力の中で相手に和解をさせる努力を試みないで勝者と言えるのだろうか。
下船前夜、ガラディナーが開かれる。最初の夜よりも一層交友が深まっている。侍が折り紙を折っているではないか。同席の人たちに鶴や奴さんを折ってプレゼントしてる。クルーが華やかに飾りつけた食卓に侍のささやかな国際交流が彩りを添える。私は亡き母の着物をリフォームして洋服にした装いで日本を紹介するのが精一杯だった。
夢路とみこ