先日、日本出張と本年最後のクルーズ添乗に合間を置かずに行ったせいで疲れが爆発。医者を呼んでも熱は下がらず、救急病院へ行けば何と熱が42度もあって半分あっちの方へ向かっていた。1週間ほどの抗生物質の投与で何とか回復。このせいか、体力は戻ったけど暫く日付に疎くなって、何度もアポを間違えたりした。
最大に悔しかったのは、ボージョレヌーボーの日付を間違えたこと。パリはディジョンよりもヌーボーの祝い方が盛大と聞いていたし、去年は仕事でパリにはいなかったので、今年こそ。と張り切っていた。でも日付を勘違いしている私はヌーボー解禁の瞬間、羊を数えていた。翌朝になり、家の前のカフェに掲げてある垂れ幕に「ヌーボー解禁」の言葉を見つけた。ヌーボーで失敗したことを教訓にボーヌの「栄光の3日間」こそ、張り切って飲みまくることを頑なに自分の中で決めた。
パリからディジョンまでTGVで80分、ディジョンは盆地のせいか、駅に着いた瞬間「どっしり、ずっしり」感が襲う。栄光の3日間のある週末だから駅はいつもの倍以上の利用客、目抜き通りのリベルテ通りを歩くと日本語が聞こえるし、マイユの狭い本店は人が外に溢れ出ていた。活気がある、お祭りらしくって良い。バスで国道74号線を銘醸街道沿いにボーヌまで1時間近く掛けてゆく。電車なら30分だけど、これが良い。畑はすでに収穫も終わり紅葉した葉すらもう一枚もなかったけど、でも葡萄畑は絵になる。
この日のボーヌでは町が巨大な試飲会場。試飲の値段も普段の3倍くらいはするけれど、普段では飲めないようなヴィンテージものがごろごろ。1939年のボーヌにはちょっと私も「あれぇ」と思ったが、62年のポマールには「寒いところ来て良かった」と思った位。試飲は30から60ユーロと結構なお値段。でも、上記にもあるようにものすごい年代のものが飲めたりするからやっぱりファンにとってはたまらない。特別な日に試飲するのだからわざわざ足を運ぶだけのものを飲みたい。
最大の目的であるワインの競売会は一部だけ一般人も入場できるようですが、かなりの行列。会場はガラス張りだから外から眺めることも可能。行列を覚悟すれば競売に出品しているワインも有料で試飲出来るようです。
栄光の3日間についてもっと知りたい方は、このサイトが詳しいですよ。
http://www2.odn.ne.jp/~cdj80950/index.html
夢路とみこ
[208]スイスにて(1)
米国での大学を卒業して最初の就職先がスイスのローザンヌだった。私は当時23歳、JJ(Jeune et Jolie 若くて可愛い)で夢と希望に満ち溢れていた。赴任期間は約2年ほど。短期間だったけど厳しい上司に鍛えられて仕事でもプライベートでも男並になって帰国。あれから17年。その間に何度かスイスには観光には訪れたけど、そんなに長くはいない。ローザンヌに住んでいた頃は、フェリーに乗ってレマン湖を40分程度渡るとミネラル・ウォーターのエヴィアンがあり、高級保養地のその町のカジノへは同僚に連れられて何度か行ったし、それ以外ではワインや食料を買いにレマン湖を週末良く渡ったのですが。
バルセロナへの出張が入り、格安チケットを購入したら西へ行くのに東経由となった。空港での暇つぶしにまずはウィンドーショッピング。空港でのショッピングの楽しみはやっぱりワイン。その国がワイン生産国ならなお更楽しみ。どんな品種でワインを造るのか、それを飲ませてくれるバーは空港内にあるのか、などなど。スイスがワイン生産国であることはあまり知られてない。生産量は少ないし、品種もそんなに多くないし、まして自国民は隣のフランスやイタリアのワインばっかり飲んでるから、余計に陽の目がない?
私の社会人生活最初の上司は金融の仕事以外にワイナリーを経営し、スコットランドに城を持つ元貴族の出の人でした。その上司、今では金融もワイナリーも辞め、城も売り飛ばし貿易会社を経営しながら市長も兼業している。今でも交流?腐れ縁?があり電話をしてくるとき私を「スケベババア」と下品極まりない。もしかして元貴族も辞めたのかな?でも、彼が私にワインの魅力を教え虜にした。私の酒豪は自分の責任ではないと逃げながらも。
私の好きなスイスのワインは2種。レマン湖周辺の傾斜、それもローザンヌ近郊のサン・サフォラン村 St. Saphorin で作る白。シャスラ種 Chasslatの葡萄で作る微発泡性なのがフランスのアルプスの白ワインを思わせる。そしてイタリア語圏にあたるティシノ県Ticino のメルロー種で作られる赤。メルローはボルドーでも多く使われる品種だけど、ボルドーの繊細なメルローと比べるとこちらはイタリアのワインを思わせる。いずれにせよ、スイス外で見かけるのは稀。日本ならどこかが輸入してる?
帰りもこの空港に寄るから久々にたんまり買っちゃおうっと。
夢路とみこ