フランス人の家ってクーラーないんですよ。家電店でクーラーを売っているところ見たことがないのは私だけじゃないはず。自宅勤務の私は日中は、それも午後は家にいるから蒸篭のなかにいるような感じ。一人肉まん状態。同居人「ママ」が帰宅する頃は死んでます。毎日帰宅する時間はほぼ一緒だし、事前連絡がなければ一緒にご飯だから夕飯を用意はするものの、作っている最中から「これをここで食べる、うわぁーサウナレストラン」とつぶやくことも多々に。ママが帰宅する頃には頭からも湯気が出ているから「ご飯、外でしようか」と言ってくれる。
この場合、「外でご飯」とは別に外食に連れて行ってくれるという事ではありません。あくまでも私達は同居人、夫婦でもなければ、恋人でもないから、揃っての外食はほとんどなし。あるのは近くの「公園に夕飯を持って行ってそこで食べよう」という「外でご飯」なら頻繁にあります。ほぼ、毎日に近いくらいに。手際も良くなって来たし。
私達はいつも近くのモンスーリ公園に行きますが、パリの人はピクニックがお好き?ブルゴーニュでは見たことのないくらいに大勢の人が公園でピクニックしているではないか。ディジョンにも素敵な公園はいくつかあったけど、それはあくまでも散歩の場所であり、お弁当持ってきてワイン片手にくつろぐなんて姿はほとんど見たことありません。
でも、パリの公園、セーヌ川の河岸では良く見かける光景です。ある夜なんて、セーヌ川のほとりで素敵な中年カップルがシャンパンで乾杯していました。うわぁーおしゃっれ!と思いました。シャンパンなんて安いものから高いものまであるので別にいつもドンペリでなくとも、セーヌの雰囲気が盛り上げてくれるわよ、と言わんばかりに。これはやっぱりセーヌのもつ魅力なんでしょうかね、ディジョンの運河公園に夜のシャンパンデートはちょっと似合わないかも知れない。
夏時間は日が暮れるのが遅いから公園の閉園時間も午後9時過ぎが多い。涼しくなる午後7時ごろお惣菜とワインを買って公園に繰り出してみては。
Parc Montsourisモンスーリ公園はRERのB線 Cite Universitaire シテ・ユニヴァーシテール下車すぐ裏にあります。
夢路とみこ
[223]女として、凛として
90年代の金融業界は男性社会だった、女性がディーリングルームで相場を追いかけるのはまだまだ少なく女が女であってはならないような雰囲気がありました。私の先輩達は長く美しい髪をシニヨンに巻き上げ、しなやかな鶴の足をパンツスーツの下に隠し、唯一女性らしさを覗かせていたのは遠くからでも聞こえるハイヒールの冷たい足音だけ。
男性と同等の立場を求めてアメリカ女性はパンツルックで、シンプルだけどシャープな装いを好む。男性より1歩も2歩も後ろに追いやられながらも自由を求めて日本人女性はパステルカラーなどのしなやかなイメージでしっかりパンツルックを決める。しかし、ここフランスでは全面的に女を出した者が勝ちとでも言わんばかりのセクシールックに人気があるようだ。
まずは装い、次は態度。独立した大人の女を演出するアメリカ人、控えめで忍耐強いイメージが濃い日本人、聖女と悪女の顔を使い分けるフランス人。どれを取っても皆可愛い女であり、男社会にもまれながらも巧みに泳いでいる人魚たちなのである。
先のパリ郊外で開催されたジャパンエキスポのような日本を紹介するイベントにも表されるように、海外から見た日本は、私達の想像をはるかに越えた極端さがある。フジヤマ、芸者、クロサワムービーとレトロなイメージもまだまだ拭えてないけど、その反面、コスプレにマンガ、私も日本ではそれほど聞いたことないような、テクノ音楽とかなり飛躍している。
この両極端のイメージの中、在外日本人女性の私達はどこに自分のアイデンティティーを置くべきか。レトロなそして幻想の世界のままにかぐや姫か、それともウルトラモダンにコスプレもどきでシャンゼリゼを闊歩するか。その答えをリヨンにいるとある女性の生き方に私は見た。会社のリヨン支店を任され自宅件事務所を一人で切り盛りするその人。日本にもフランスにもなびかず、自分を確立し、押しつぶされそうな環境の中、中立であろうとする。女として、凛とするその姿はとてもまぶしく、そして同じ海外に住む同胞として誇らしくも思う。
彼女はリヨンという町を愛し、この町の素晴らしさをブログで伝える。その熱意、シャポーもんです。
夢路とみこ