語学学習と旅は若ければ若いほど得るものも多い、失敗も多いからね。仕事柄、旅行が多いのですが最近はすっかりわがままになってホテルもバスタブ付じゃないと嫌だし旅先も美味しいものがないと行く気にもならない。そんな私にも擦り切れたジーンズを穿いてバックパッカーをした時代もあったなんて今のわがまま振りをみて人は想像するだろうか。
もう20年近く前の話ですが、留学中にやったバックパッカーの思い出。当時はまだ国境があり、東西の壁もあった頃、ウィーンから入るハンガリーは車内でヴィザがもらえ越境出来ると大学の仲間が言うから、ユーゴから入っても同じだろうと勝手に解釈して越境しようとしたら、捕まった。幸いな事に大学の仲間2 人との旅で語学も英語圏、スペイン語圏といて私の日本語を入れて仏留学中だから4ヶ国語対応と心強かったはず。しかし当時のハンガリーは東ドイツとの関係がより密接だからドイツ語の方が役立つ。
[169]にわかブルギニヨン2
東京で外人ハウスに住んでた頃のある日、隣のスイス人が困った顔をして声を掛けてきた。勤務先の大学を3ヶ月休んで研究している日本の古典芸能を堪能しに来たけど歌舞伎以外は英語イヤフォーンがないから困ってる。もう1ヶ月にも経ったのに能も狂言も見に行ってない、助けてくれと。
可哀想だから能、狂言に付き合ってあげたら、今度は「回転寿司」に行きたいという。私の分だけで5000円以上も払わせたのは非業と思いきも、残りの2ヶ月は銭湯でオヤジと背中の流しっこ、立ち食い蕎麦、新橋のガード下でコップ酒を堪能し、帰国の日の朝、目を潤ませて「とみこのお陰で期待していた以上の体験が出来た。会えて良かった」と言った。その後も私は外国人向け「にわか都内観光局員」にさせられてしまった。
そう、旅行者がお決まりの観光地見学の次に味わいたいのはにわか現地人生活、ジモティ暮らし。外国語に多少の自信があってもそこは未知の土地、知り合いもいないから諦めるしかない。
私の周囲で日本語を勉強するフランス人はそう多くないけれど、皆頑張ってる。物価の差から日本人が渡仏する程にはフランス人は来日出来ない。漫画や留学生との会話では上達に限界がある。もっと話したい、もっと知りたい、と彼らの望みはどんどん膨らんで行くのにその方法がない。