私の海外生活の中で一番長く、5年半も住んだディジョンを離れようと思ったのは仕事に限界を感じたから。米国企業での勤務の厳しさは自分でも十分に分かっているつもりだったけど、一連の飛行機事故や疫病など渡航者の数が激減する事情が続き会社の期待する成績が出せず、また、私が思うような市場開拓に上司の了解が中々得れず、ビジネス文化の差に圧迫され、とうとう堪忍袋の緒が切れた。結局、会社からは自主退職を促され、精神的にもかなり参っていたので契約条件を盾に戦う事もなく辞めた。ずっと頭の中を過ぎっていた帰国、日本での再出発をするには良い機会かもしれないと思った。
帰国すると決めたら、シラク大統領と同じ射手座の私、すぐ行動に移る。まずはネットで帰国後の住居探し。家なき子の私にとって住居は大問題。アパートを借りるにも保証人とか、敷金、礼金、家具の買い揃えなどと問題は山積み。落ち込んで帰国するのにそんな更なる圧迫には耐えられない、だから「ルームシェア」を思いついた。学生の時も海外赴任の時も何度かアパートを一緒に借りて共同生活した経験があったので。毎日ネットで検索し、帰国後の東京での楽しい生活を想像するだけで不安が少しづつ和らげられて元気になって来た。
[193]おやじカフェ万歳!(3)
おやじカフェに屯(たむろ)する「おやじ」はカフェに行く事を日課にしているだけでなく勤務でもあるようです。その所為か、ヴァカンスシーズンになるとカフェはやっていても肝心な「おやじ」が不在。おやじ業にも休暇があるのか、家族に引っ張られて行ったヴァカンス先のカフェにご出勤するからだとか。「おやじ」のいない「おやじカフェ」、それはまるで「焼き鳥」を切らした赤ちょうちんの様なもの。味気がない。それだけこの国の大衆文化であり庶民の生活に根付いているから、「おやじカフェ巡り」も一つの観光テーマになりえる。
テレビドラマで19区が舞台になったものを観た。時代背景は戦時中のものだけど現場がその時代のままらしくセット無しの撮影だったよう。ドラマはまるで向田邦子の「時間ですよ」を思わせるホームドラマだった。あんまり素敵だったから19区だけを頼りに地図帳を持ってパリへ行く。肝心な40年代を思わせる街角は見つけきれなかったけどプチブルジョワの住宅街を発見。パリにこんな素敵な1軒屋界隈があるんだと感心。そこはプチ田園調布で、プチ芦屋。細い路地を挟んでそれぞれが思い思いに家を遊び、ミニ玄関を飾り立てる。その後ろに高層住宅、それもマンションというよりも公団みたいなのがミスマッチで大都会パリを感じた。
偶然の副産物に感動しながらたっぷりとプチ邸宅ウォッチグを楽しんだ後は、お腹が「時間ですよ」というので近くにあったおやじカフェに入る。フランス各地でおやじカフェ体験しているけど、パリ19区のこれは私の中でも「当たり」だった。まずおやじの服装がハイセンス。カウンターの中に立つお店側のおやじはお洒落な「かつてのギャルソン風」、ちらりと見えたキッチンからは料理上手そうな「おっかさん」がいた。極めつけはオーナーのムッシュ。週に2時間日本語を勉強しているとかで「本日の定食はお肉です」と日本語で教えてくれる。どうやらワイン好きのお店らしく、店内はワイングッズ装飾がお洒落。おやじカフェなのにワインリストもOK!私の感激の頂点を突いたのは前菜に食べた「ポワロー葱のヴィネグレット」ホワイトアスパラのように甘くとろりと口の中に滑り込むような味、船のシェフに泣き付いて作ってもらっていた昔を思い出す。
BISTROT SAINT-GERVAIS
67 rue de Mouzaia 75019 Paris
tel 01.42.00.44.12
夢路とみこ