その昔、パリが大嫌いだった。仏語が喋れても下手だとしかめっ面するし、人が冷たかった。スノッブなイメージもあったし、陰険だとさえも思った。でもフランスでもバブル崩壊の期や9.11の事もあってパリから観光客が減りカフェやホテルが慌て出した。そのせいでしょうか、最近のパリは温かい。英語で道を聞いてもきちんと返してくれる。人が親切になって来た。そして今の私はパリに夢中。ブルゴーニュの田舎暮らしに疲れたときはふらりとパリに出かけ刺激を得る。副都心のデファンス地区から戻ったらバリバリよぉ!
嫌いだと思った町に夢中になる、私が大人になったのか、町が成熟してくれたのか。この現象は大阪にも言える。私を大阪に惹きつけた最大の理由は、「料理」、つまりここは食事がとっても美味しいと言うこと。私は大阪と東京の「料理」にディジョンとリヨンの関係を見た。ディジョンの美食が庶民的なものに対し、リヨンのそれは精巧な技術を施した皿の上の芸術であるように、大阪ごはんはありきたりな料理がずしんと胃袋に訴えてくれる、そして東京ごはんは、皿の上のステンドグラス、つまりちょこちょこと彩りよく並びそれが完全な調和を描いてる。
[150]上質のサービスとは?
サービス業に従事する者として自らが顧客となりその対価を受ける立場にたつ時、感動、反省及び非難と様々なことを学びます。特に問題に出くわすと「どっちが客か?客は神様ではないにしろ、対価に見合う扱いを受けるべきではないか」また、「安かろう、悪かろう」で諦めるべきかと悶々すること。
日本のサービス業に対する概念「お客様は神様」は消滅したと日本へ帰る度に思います。「神様扱い」というのは大袈裟だしちょっと緩和すべきだと思ったりもする。しかし、お客様と従業員は対等ではないという事を忘れてはいけないのでは?お客様はお金を払ってサービスを受ける、そのお金は私達の生活に直結している事を忘れてはいけないのでは?しかしお客様への過剰サービスも問題あり。従業員は補佐であり奴隷ではないのですから。過剰要求に対して無理である事を理解してもらう、あからさまに客の誤解である時それを冷静に対処し相手に気付かせるなどの努力が必要なのでは。