[491]ニコヨン(2)

2013年5月26日

小学生の頃(1965年)、担任の先生がよく言っていました。「今日は授業のかわりにニコヨンを行なう」

ニコヨンってなんだ?よくわからぬまま、しかし、勉強しなくてもいいことと、「非」日常がうれしくて、バンザーイ!などと叫んだ記憶があります。

何をしたかというと、主に校内の掃除や整理です。体操服に着替え、埃にまみれてみんながんばった。今ではこういうのをボランティアというらしいですが、ボランティアというのはあくまで「任意」ですからちょっと違います。

当時の担任の先生は、今もご健在です。お聞きしたわけではないが、多分ニコヨンを経験されたのではないかと思う。今度同窓会を行なう予定(いつになるのか?)なので伺ってみようか。

今から52年前の昭和22年(1947年)、政府は11月30日に職業安定法を公布して翌12月1日から実施しました。

当時、町で繁盛していたのは闇屋とかつぎ屋だけ。戦争が終わって、町は復員してきた兵士と海外からの引揚者でごった返し、職につけない人であふれていました。ちなみに米(いわゆるヤミ米)1升の値段は1月60円、2月70円・・・9月155円、10月180円とうなぎ上り。物は無く、生活もままならない日々が続く。

ん?闇屋がわからない?かつぎ屋、知らないですか?闇屋というのは政府から物資が供給される合間を縫って、政府を通さず民間で取引をする業者のことです。米などは政府からの配給ですから、民間で取引しちゃいけなかったんですね。かつぎ屋というのは、日本と韓国を行き来する行商人みたいなものです。当時は「物」を持っているものが一番強かったのです。

さて、職業安定法の公布によって職業安定所ができ、日雇い労働の斡旋が始まった。そのときの賃金が240円。これを俗にニコヨンといいます。

現在では職安は「ハローワーク」、ニコヨンは差別用語に指定され「日雇い労働者」「自由労働者」と呼ぶようになりました。時代は変わったけれど、景気回復の見通しがたたず大手企業のリストラで日本は再び失業者が激増しています。歴史は繰り返すといわれますが、こんなことは繰り返してほしくないと思ってしまいます。やっぱり人間は学習能力があまり無いのですかね?