[705]紙の爆弾
いよいよアメリカがイラクに対し武力行使をするようです。戦争が始まる割には、アメリカ市民もイラク市民ものんびりしてているように見えます。お互い戦争慣れしているからでしょうか。
日本の対応は予定通り、アメリカを支持するとのこと。小泉さんも大変です。なぜ大変かというと、日本はアメリカと同盟を結んでいますから、アメリカにタテをつくなんてことは、最初からありえないのです。日本は軍事力はありませんから他国からの脅威からはアメリカの軍事力が頼みの綱です。これは戦後50年を超えますが依然として変っておりません。日本は軍事力をアメリカにアウトソーシングして効率よく戦後の復興を果たしたわけです。
さて、ブッシュ大統領が48時間以内(3月18日発)にフセインが国外退去しなければ武力行使をすると世界に向けて演説をしました。これはイラク国内にも伝わっています。イラクは開けている国ですから、外国の放送電波は受信できます。したがって知っている人は知っているわけです。それに加え今回は空中からのビラまきや、飛行機からの放送もアラビア語でやったらしい。じつに原始的な告知方法ですが、これと同じことをアメリカは過去日本でもやったのです。
終戦間近の昭和20年2月頃から、アメリカ軍は爆弾は爆弾でも紙の爆弾を撒き散らしました。「紙の爆弾」こと宣伝ビラは「伝単」と呼ばれ、これを拾ったらすぐさま警察に届けることが国民に課せられていました。アメリカ側の発表では昭和20年2月16日に関東と東海に投下されたのが最初とされ、その数は終戦まで延べ458万枚以上にも達します。
伝単の内容は主に国民に向けたもので、空襲の予告、軍部に対する非難、日本の敗色濃い実情、など多種多様です。もちろん日本国民に宛てたものですから流暢な日本語で書かれています。国民は伝単に書かれた内容はウソであるとし、警察に届けながらも一抹の不安は隠せなかったのではないかと思います。
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(NO.2034)
軍閥が支那と戦争をはじめていない昭和5年頃は10円で次のものが買えた。
「上等米二斗五升、或いは夏着物八着分の反物、或いは木炭四俵。」
支那事変勃発後の昭和12年には10円で次のものが買えた。
「下等米二斗五升、或いは夏着物五着分の反物、或いは木炭二俵半。」
世界の最大強国を相手に3年間絶望的戦争を続けた今日、10円で次のものが買える。
「暗取引にて上等米一升二合、木炭少額(買い得れば)、木綿物なし。」
以上が諸君の指導者の云う共栄圏の成り行きである!
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上記は、表に当時の10円札を印刷した伝単の裏の部分を要約したものですが、物がなかった時代に生きる国民にはかなりこたえたのではないかと思います。空から降ってきたのは偽札伝単。
流暢な日本語は当時の大統領トルーマンの考案した文章であると考えられます。トルーマンは日本に対して理解があり、日本語の勉強もしていたとされる文化人です。しかし、軍部はこれに臆することなく、その後も戦攻の手を休めず、結果、紙爆弾ならぬ原子の爆弾を頂戴することになったのです。
今回、核はありえないとしても、多分イラクも同じ運命をたどることでしょう。