[019]判官贔屓(はんがんびいき)
前号で書きましたが、忠臣蔵は日本人の判官贔屓(はんがんびいき、ほうがんびいき)という美意識に訴えたものであります。判官とは「九郎判官義経」のことです。義経はその力量で平家を瞬く間に滅ぼしましたが、天下は兄の頼朝が握り、自らは追われる身となります。
このように英雄なのに虐げられたりすると或いは非業の死を遂げたりすると、日本人は黙っていません。どういうわけか贔屓をします。これは多分DNAにそういう風に書きこまれているのでしょう。これを日本人の伝統的「判官贔屓」といいます。
話は元に戻ります。頼朝に追われた義経は奥州平泉で31歳の若さで非業の死を遂げたことになってますが、実は更に北海道へ逃げたと言う伝説もあります。実際北海道平取町には義経資料館があり、北海道に数多くの伝説を残し、先住のアイヌ民族からもハンカン(判官)カムイ(神様)として親しまれた偉人源義経公にまつわる資料を展示しています。また、判官贔屓の日本人はモンゴルの地でチンギスハンとして義経を復活させてしまいます。恐るべし日本人の血といえます。
【参考】
「判官(はんがん)」は「古代朝廷の四等官制(しとうかんせい)で、第三等官の総称。また、巡察使など若干の官司の第三等官。次官(すけ)の下、主典(さかん)の上。特に、衛門の尉(まれに、近衛の将監・兵衛の尉)であって検非違使を兼ねるもの。検非違使の尉」。