[07]暗い事件と皇太子の誕生
第7回
■暗い事件と皇太子の誕生
大正から昭和へ国民の期待した「黎明期」は最初から血なまぐさい昭和になってしまいました。前にも書きましたが昭和に入って直ぐに金融大恐慌が起こり次から次に事件が起きました。
大正時代第一次世界大戦が終わったあと、大正10年にはあの安田財閥の安田善次郎翁が暗殺されたり、大正12年には関東大震災が起こったりして国民は皆昭和の御代に期待したと思いますが5.15事件や2.26事件など大事件がひっきりなしに起きました。騒然とした世の中でしたが我々少年にはそれほど深刻には感じなかったものです。
唯2.26事件の時はうちの女中さんの兄さんが関係したとかで憲兵が調べに来たことはありました。家は昭和通りに面していましたから、何か事件があると二階の窓を少し開けてじつとのぞき見は何時もしていました。此の事件のときもそっと除くと兵隊が銃剣を付けて昭和通りを駆けて行くのが見えていました。
また、窓から覗いて見た物とは5月1日のメーデーの日です。労働者が5?6列縦隊にキチンと並んで、大きな声で労働歌を歌いながら行進しているのです。一糸乱れずと云う姿です。此の時代は取り締まりが厳しい時代だったからです。
昭和8年頃だったと思いますが、日露戦争の時に日本の連合艦隊の司令官だった東郷平八郎元帥の国葬があったとき、此の昭和通りで馬車の荷台に元帥の帽子やら軍服を載せて行進している姿を見ました。凄い数でした。行進は延々と続いていました。
此の昭和8年はもう一つ大きな事件がありました。この年の暮れに皇太子の誕生です。大正の終わりから昭和天皇のお子さんは次々に生まれるのは全部内親王ばかりで、国民はみんな皇太子を望んで居ましたがそれが実現したのです。世の中大騒ぎでした。歌まで早速出来たんです。
♪ 日の出だ 日の出だ 鳴った鳴ったゴーンゴン
サイレン サイレン?????????中略
皇太子様お生まれになった・・・・・・・♪
兎に角大騒ぎでした、その頃は普通の家にはラジオもありませんでした。何しろラジオ1台が800円~1000円もした時代です。安い家なら一軒買えちゃう値段です。頭から親父の怒鳴り声がして「京三」へ行ってラジオを借りて来い・・・その頃昭和通りの下を神田川が流れて居て、地蔵橋と云う小さな橋が架かっていました。其の脇に「京三自動車」と云う一つ目の小型トラックを売っていた店があったのです。親父は其の店と昵懇だったのでそこへ行ってラジオを借りて来い・・と云うのです。
私はそこへ行ってラジオを借りて来ました。六才の時です。ラジオを聞いたかどうか覚えて居ません。此の皇太子は今平成の時代の天皇陛下です。昭和八年十二月二十三日のことでした。