[69]恐ろしい赤い國の独裁者
第69回
■恐ろしい赤い國の独裁者
「赤い國」とは勿論「共産主義」「社会主義」の国々を云いますが、元々は「マルクス・レーニン・エンゲルス」が提唱した理論ですが、これをねじ曲げて独裁者になったのがソ連の「スターリン」であり、後の「毛澤東」であった訳です。
難しい「共産主義理論」はここでは述べませんが、特に上記の独裁者は、自分の政策に反対する勢力や同僚を、政治的にまたは物理的に抹殺するにとどまらず、政策に反対する市民や全く関係のない、無関心な人達までも大量虐殺し、大量に餓死させるなどしたと云います。(此の文書はフリー百科事典ゥイキベディアから引用しました)
昭和12、3年頃は世の中の「知識人」と自称する人達や、学生達もこの理論に賛同した人も多かったようです。しかし当時は密告者も多かったようで、このような本を見ただけで、日本の「秘密警察=特高警察」の手入れがあり、連行され、酷い拷問にあって、若い命を落とした人も多かったと云います。
《女優・岡田嘉子 恋の逃避行》
此の女優は大正八年に初舞台を踏みデビューしたが、あまり男癖が良くなかったようです。24才で日活に入り、昭和2年、27才の時に撮影中の相手役「竹内良一」と失踪し、後に結婚。昭和11年演出家の「杉本良吉」と知り合い、昭和13年12月に樺太国境を越え、この二人で「恋の逃避行」を行った。当時は共産主義は地上の楽園だと錯覚していた人も多かった様です。
越境した二人は直ちにスパイ容疑で逮捕され、彼女は強制収容所に収監されたが、杉本良吉は昭和14年に「銃殺」された。
岡田嘉子はハバロフスクで日本向けの謀略放送のアナウンサーとなり、生き延びた。戦後は度々日本に帰って来たようだが知らない人も多かったようです。又ソ連に抑留されていた「滝口新太郎」アナウンサーの遺骨と共に帰国した。
平成四年死没し、多磨霊園に二人で眠っている。墓石には二人の自筆で「悔いなき人生をひとすじに」と刻まれていると云う。だが、一緒に「恋の逃避行」をして「銃殺」された「杉本良吉」は何処に眠っているのだろうか?
《無実のスパイ容疑で銃殺》
1930年代はソ連はスターリンの独裁政権の最中であったが、日本の労働組合の活動家や共産党員などが多くソ連に渡ったが、多くの日本人はスパイ容疑で強制収容所に入れられ、そして粛清されたと云います。
此処に乗せた「松田照子さん」と云う女性のことは、平成11年2月17日の「日本経済新聞」に掲載されたものです。此の女性は当時25才。駐日ソ連大使館の外交官と結婚。モスクワに渡りました。ところが夫は共産党員であったが、党内の対立で粛清されてしまったと云います。
また当時は照子さんはモスクワ大学の学生で、政治活動はなにもしていなかったと云います。だがこれもスパイ容疑で逮捕され、昭和13年3月14日に銃殺されたと云います。そして20年経った昭和33年に「あれは無実だった」とソ連政府から名誉回復したとあります。
無実な人を「銃殺」しておいて、20年も経って「あれは無実」だった・・なんてふざけた事を言うな!殺された者が生き返る訳じゃあるまいし、何が名誉回復だ・・と怒鳴りたい気持ちですね。
これを調べられた一橋教授の加藤哲郎氏によれば、こうした邦人犠牲者は数十人いるそうです。過激な独裁国家が直ぐ側にいますねぇ・・・・ですけど「独裁国家」は共産主義の國ばかりではありませんよ。
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