[138]緊急訃報 植木等 逝く(うえきひとし)-2-
第138回
■緊急訃報 植木等 逝く(うえきひとし)-2-
<前号より続き>
彼は大学を卒業すると、直ぐにジャズに傾倒してギタリストとなり、それから芸能活動一辺倒になりました。そう言った才能の持ち主であったのですが、もともと人一倍の努力家でもあった訳です。1954年にはオペラ歌手の平山美智子から、本格的なクラシックの発声練習を受けているため、良く通る声で唄も歌える芸能人に成長しました。映画出演は約46本、テレビドラマに24本、バラエティショーに7本、CM4本等々沢山の番組で活躍しました。
特に1955年に入った「ハナ肇とクレージーキャッツ」にいた38年に活躍が目立ちますね。彼は、俳優であり、コメディアンであり、歌手であり、ギタリストでもあったわけですから、万能選手であったわけですね。テレビや映画に出てる彼の動作、台詞回し、表情など同じクレージーキャッツのメンバーの中でもずば抜けていたのではありませんか?
特に「無責任男」のイメージを強く持たれる人も多いかと思いますが、それはあくまでも芸の中のことであって、実際の人物はそのような人ではなかったのです。「お呼びでない」などのギャグを飛ばす東宝クレージー映画などは30本も出しています。
話は飛びますが、昨日平成19年3月29日の夜、東京12hで植木等追悼番組で、40年ほど前の「日本一のほら吹き男」と云う映画を放映していましたね。共演している「浜美枝」とか「草笛光子」とか、若いのは当たり前ですが、「植木等」などもこんなに若い時があったんだなぁ・・と感じました。
ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーを書きますとリーダーは「ハナ肇」「植木等」「谷啓」「犬塚弘」「安田伸」「石橋エータロー」「桜井センリ」の7名でしたね。
この中で「石橋エータロー」と云う人は、前頁で書きました映画「人妻椿」のヒロイン女優「川崎弘子」の子供だったのです。しかも「川崎弘子」15歳の時の子で、父親は尺八の「福田蘭童」です。此の「石橋エータロー」も「植木等」と同じ年でしたが、1971年にクレージーキャッツを脱退し、料理研究家になっていましたが、平成6年胃ガンのため66歳で此の世を去りました。
此処で一世を風靡した「植木 等」の「スーダラ節」を記しておきます。此の歌は#3まであります。
『スーダラ節』1962年
♪ チヨイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーララッタ
スーララッタ スイスイ ♪
此の曲の作詞者は「青島幸男」です。彼もタレントとしては色々な活躍をした人ですが、政治家になったのは感心しませんでしたね。東京都知事までしましたが、政治家としてはたいした実績がありませんでした。テレビで「意地悪婆さん」をしていた頃が良かったです。
平成18年12月20日に74歳で亡くなりましたが、その告別式には肺気腫を患っていた「植木 等」が、酸素吸入を持って参列していたと云います。それから3ヶ月後に今度は自分が逝くなんてことを知っていたのでしょうか?
1986年には映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」で、キネマ旬報助演男優賞、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日コンクール助演男優賞などを授賞し、1993年には紫綬褒章、そして1999年4月29日には勲四等旭日小綬章を受章しました。
(本稿は2007年3月30日の記述です)
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此の「植木等」を何故ここに取り上げたかと云う事は、私なりに関係があるからです。生年月日もほぼ同じですから、同年代の年頃です。