[133]淡谷のり子(あわやのりこ)-3-

2019年3月21日

第133回
■淡谷のり子(あわやのりこ)-3-
振り返れば、昭和4年に歌手デビューをして、騒然とした世の中を背景に、昭和10年頃には甘いシャンソンや情熱的なタンゴを歌う魅惑的なステージを作り、唄の為にも何時も華やかな雰囲気に包まれていました。
昭和13年にはジャズ・ピアニストとの結婚に破れて、死にものぐるいで唄一筋に精進して「別れのブルース」や「雨のブルース」を大ヒットさせました。この頃は戦争に巻き込まれた国民は、このような唄に気を紛らわせることが出来たのかも知れません。
当時の歌謡界は、国民の士気をもり立てるために、軍歌調の唄が多かったのですが、「淡谷のり子」はそう云う唄は歌いませんでした。歌謡界では藤山一郎とともに最も長く活躍した人でしたが、1999年(平成11年)9月22日午前4時30分に「老衰」の為に天国へ旅立ちました。享年92歳でした。
「日刊スポーツ・訃報」より《淡谷のり子さん 老衰のため死去》

「別れのブルース」「雨のブルース」などのヒット曲を持つ歌手淡谷のり子(本名淡谷のり)さんが22日午前4時30分、老衰のため東京都大田区内の自宅で死去していたことが25日、分かった。92歳。淡谷さんは今夏の猛暑で体調を崩し、家族たちに見守られ息を引き取った。「ひっそりと送ってほしい」の遺志で死去は伏せられ、この日、都内で親族だけで通夜が営まれた。約70年、戦前、戦後を通じて日本の歌謡界を生きたブルースの女王が、現役歌手のまま静かに逝った。
事務所関係者によると、淡谷さんは1993年(平成5年)に一過性脳虚血で倒れてからは、車いすでの生活を余儀なくされてきた。一時は復帰したものの、最近は体力もなくなり寝たきりの状態だった。さらに今夏の猛暑が食欲も奪い、衰弱していった。それでも、先月12日にはベットの周りで92歳の誕生会が開かれ、ハッピーバースデーの曲に淡谷さんは笑顔でこたえていたという。

この他にも「淡谷さん語録」と云う記事が載っていますが、彼女の毒舌は相当なもので、現役の芸能人の実名で書かれていますので、ここでは割愛させて頂きます。
淡谷のり子さんの主な賞歴を記しておきます。
昭和46年に日本レコード大賞特別賞を授賞。昭和47年に紫綬褒章。昭和50年には第27回NHK放送文化賞。昭和53年には青森市郷土大賞。昭和54年には勲四等宝冠章。昭和62年には第20回作詞大賞特別賞などを授賞しています。
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