[131]淡谷のり子(あわやのりこ)-1-

2019年3月21日

第131回
■淡谷のり子(あわやのりこ)-1-
ブルースの女王として歌謡界に大きな足跡を残した大御所ですね。大抵の年配の人は知っているでしょう? 92歳で老衰で亡くなるまで歌謡界に君臨していたのですから凄いですね。
生まれは青森市浜町で、明治40年8月12日生まれ、・・明治40年と云えば、筆者の死んた母親と同じ年で、今年健在であれば丁度百歳になります。・・本名は淡谷のり。
生家は青森の大呉服商の阿波屋だったのですが、明治43年の青森の大火を切っ掛けにして没落してしまったと云います。大正12年に離婚した母と妹とで上京して、東洋音楽学校に入り、学生時代は画家のモデルまでして一家を助けたと云います。
そして昭和4年に東洋音楽学校の声楽科を卒業して、ポリドールレコードに入社し「夜の東京」で流行歌手になりました。音楽学校は首席で出たそうです。そして昭和6年にコロムビアレコードに入社しました。彼女のヒット曲はここから始まります。しかし、昭和9年6月には音楽学校では「はやり歌」はまかりならぬと卒業生名簿から除名されたとも云います。
彼女のヒット曲は沢山ありますが、その中の28曲の名前を記しておきます。
先ず最初は先ほど書きました昭和4年の「夜の東京」ですが、これと昭和5年の「ラブ・パレード」と云う曲は聴いたことがありません。
昭和6年の「私このごろ憂鬱よ」これは聴いたことがありますので#1だけ記しておきます。#3まであります。
  「わたしこの頃憂うつよ」

  ♪ 情けの壺に 咲いた花
    涙の庭に 散った花
    命もうすぐ 咲いて散る
    花の心を 誰が知る
    わたしこの頃 憂うつよ  ♪

昭和7年には「唄はない恋の唄」、昭和8年には「海ゆく君に」と「来る来るサーカス」、昭和9年には「恋の月」、昭和10年には「愛のセレナーデ」、昭和11年には「涙の踊り子」と「暗い日曜日」・・・ここまでは残念ながら聴いたことがありません、まだ子どもでしたからね。
続く
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