[146]昭和の歌「男なら」他

2019年3月21日

第146回
■昭和の歌「男なら」他
  『男なら』唄・林 伊佐緒・・昭和12年

  ♪ 男なら 男なら
    渡る世間は 出たとこ勝負
    もとをただせば 裸じゃないか
    運否天賦は 風まかせ
    男だよ やってきな    ♪

此の歌は#5まであります。此の年に此の「林伊佐緒」は「新橋みどり」とデュエットで軽快な面白い唄を唄って居ますので次に記しておきます。
  『若しも月給が上がったら』唄・林伊佐緒・新橋みどり ・・昭和12

  ♪ 若しも月給が 上ったら
    私はパラソル 買いたいわ
    ぼくは帽子と 洋服だ
    上がるといいわね 上がるとも
    いつ頃上がるの いつ頃よ
    そいつが解れば 苦労はない  ♪

此の歌は#4までありますが、戦時中に何となく明るさを求めていた人々の心を休ませてくれたのではないでしょうか。盛んに歌われていたので、良く覚えていますが、欲しい物は現代に比べて見ると、隔世の感がありますね。
「林 伊佐緒」は明治45年5月11日に山口県下関の玉喜で、父、林正二の長男として生まれました。本名は「林勲」と云います。昭和9年明治大学商科を卒業しましたが、在学中から国立音楽院の四谷分教所ピアノ科で学びました。昭和9年にニットレコードから「旅の雨」で歌手デビューし、昭和11年からキングレコードの専属となり、その後「多紀英二」の名前で作曲も手がけて、多くの歌手に歌われて居ました。そして林 伊佐緒音楽事務所を主宰し、また日本歌手協会の会長も務めていました。
昭和50年に紫綬褒章を授章し、また昭和58年には勲四等旭日小綬章を授賞しました。そして平成5年に亡くなるまで歌謡界のために尽くして来ました。享年81歳でした。故郷の玉喜小学校の敷地内に顕彰碑があるそうです。
此の歌を「林 伊佐緒」とデュエットした「新橋みどり」と云う歌手は、他に多くのレコードは出していますが、その経歴は分かりませんので割愛いたします。
 『煙草屋の娘』唄・岸井 明・平井英子・・昭和12年

(男)♪ 向こう横丁のタバコやの
     可愛い看板娘
     年は十八 番茶も出花
     愛しじゃないか
     いつも煙草を買いに行きゃ
     優しい笑顔
     だから毎朝毎晩
     煙草を買いに行く    ♪
(女)♪ この頃毎朝毎晩
     煙草を買ってくあの人は
     なあんで煙草を のむんでしょ
     あきれた人ね
     おまけに煙草を渡すとき 変な目つき
     それでもお店にゃ大事なお客
     毎度ありがとう         ♪

此の歌はこういった調子で#5まで続きますが、最後に次の男と女のやり取りがあります。

(女)アーラしばらく どうしたの
(男)へへ 実は風邪ひき 腹くだし
(女)それじゃ矢張り 病気だったの
(男)いえいえ財布が・・・それでも今日は
   月給日 これから毎日
(女)相も変わらず
(男)煙草を下さい
(女)毎度ありがとう
(男)へへ  いいえ どういたしまして

「岸井 明」・・ですか。懐かしいですね。私が子供の頃からラジオや映画、そして晩年には初期のテレビにも顔を出していましたからね。当時の子供達は「岸井 明」のようなタイプを百貫デブと云っていました。何しろ凄いデブだったんです。唄も歌うし映画にも良く出ていました。・・しかしいつの間にか消えてしまいましたね。
「岸井 明」は明治43年10月13日に東京で生まれました。昭和5年に日活現代劇部に入社し、昭和8年にはPCLに移りました。身体は大きく182cm、体重129Kgと云う巨体で三枚目として売り出しました。その後昭和10年に古川禄波と組んで歌う弥次喜多などに出演し、コミカルな喜劇役者として活躍して、後にはビクターの専属となって数多くの唄も歌い、また喜劇スターとしても活躍していましたが、昭和35年の水戸黄門に出演後に眼底出血で倒れたそうです。あの体つきは必ず「糖尿病」だし、50歳過ぎには危険となります。直接の死因は分かりませんが、昭和40年7月3日に死去しました。享年54歳でした。
又、此の歌で「岸井 明」とデュエットした「平井英子」(ひらい ひでこ)と云う歌手は大正7年1月13日の生まれですが、7歳くらいから童謡歌手として歌っていたらしいです。とすると、此の歌は19歳くらいの時の唄になりますね。
此の「平井英子」の事については、後に「唱歌・童謡」のお話の時に書くつもりでおります。現在は89歳になられる筈ですが、未だに健在でおられるようですね。