[157]昭和の歌・戦前の歌手「ディック・ミネ」

2019年3月21日

第157回
■昭和の歌・戦前の歌手「ディック・ミネ」
   《ディック・ミネ》
「ミネ」さんと親しまれていた歌手ですが、日本のジャズ歌手の草分けの存在でした。若い歌手も顔負けのタフガイでした。
「ディック・ミネ」は本名は三根徳一と云い、東京帝大卒の教育者を父に、日光東照宮の宮司の娘を母に持ち、四国徳島で明治41年10月5日に生まれました。音楽好きは母親の影響が大きかったようです。父親の転勤で一時新潟に住んだこともありましたが、上京して立教大学に入りましたが、在学中から軟派学生であったようで、相撲部で活躍しながら、ダンスホールなどでジャズに傾倒しました。
そして自分もジャズバンド「ハッピー・ナイン」を作って、バンドの一員となって、アルバイトで歌も歌っていたのでしたが、当時としては珍しいスチールギターの演奏も出来たと云います。それでレコード各社のアルバイト演奏をし、前に書きましたミス・コロンビアの歌った「十九の春」の伴奏も手がけたと云います。
立教大学を卒業した彼は、父親の薦めで逓信省貯金局に就職させられましたが、ダンスホールのバンドメンバーに誘われて、音楽で身を立てることに決意したと云います。
昭和9年にタンゴ楽団で歌手兼ドラマーとして活躍していたのを「淡谷のり子」に見いだされて歌手の道を歩むことになりました。そしてこの年テイチクの重役であった「古賀政男」の推薦で「ダイナ」をレコーディングし、これがテイチク創立以来の大ヒットとなったそうです。此の「ダイナ」が彼の本格的なデビュー曲となりました。昭和9年のことです。
そして昭和10年には、映画女優の「星玲子」とのデュエット「二人は若い」「波止場がらす」「ゆかりの唄」などが大ヒットしました。
  『二人は若い』唄・星玲子とデュエット・・昭和10年
 

 ♪ あなたと呼べば あなたと答える
    山のこだまの うれしさよ
    「あなた」「なんだい」
    空は青空 二人は若い      ♪

此の唄は#3までありますが、若い夫婦の軽快なやり取りが爽やかな情景を表す、明るい唄でした。こうして彼は日本調の歌手とは一線を画す流行歌界の寵児となりました。
そして活躍は日本の歌謡曲ばかりではなく、外國の曲も日本語で歌い、また映画にも出演したり大活躍でした。こうして設立間もないテイチクは「藤山一郎」「楠木繁夫」「美ち奴」などを抱えて大手の会社にのし上がったと云います。
何しろ生涯にレコードにした曲が1006曲もあると云いますからすべてを書くことが出来ませんので、代表的の物だけを記す事に致します。「夕べ仄かに」・昭和10年、「愛の小窓」・昭和11年。
  『人生の並木路』・・昭和12年

  ♪ 泣くな妹よ 妹よ泣くな
    泣けばおさない 二人して
    故郷をすてた かいがない  ♪

此の唄は#4までありますが、切々として情感のある歌い方に共感を覚えましたね。
「上海ブルース」・昭和13年、「旅姿三人男」・昭和13年、又映画でも活躍し、日活映画「ジャズ忠臣蔵」とか「弥次喜多道中記」「鴛鴦歌合戦」「名君初上がり」「街の唱歌隊」などのミュージカル映画にも出演しています。戦争が激しくなるに従い、外国人のような名前はいかんとの内務省の指示で、昭和15年に止む無く「三根耕一」と改名しました。
戦後もジャズ歌謡界に活躍し、名前もディック・ミネに戻して「長崎エレジー」・昭和22年や水島道太郎と共演した映画「地獄の顔」の主題歌「夜霧のブルース」を発表しています。此の「地獄の顔」と云う映画は見ていますので、此処に歌を記しておきます。
  『夜霧のブルース』・・昭和22年

  ♪ 青い夜霧に 灯影が紅い
    どうせ俺らは ひとりもの
    夢の四馬路か ホンキュ街か
    ああ波の音にも 血が騒ぐ  ♪

此の歌は#3までありますが、SP盤のレコードを聴くたびに「地獄の顔」に主演した「水島道太郎」のうらぶれた姿が目に浮かびます。その他「雨の夜の喫茶店」・昭和22年、「雨の酒場で」・昭和29年、「忘れるものか」・昭和30年などがありますが、とにかく晩年に至るまで、そのプレイボーイの気質は変わらなかったようです。生涯に4人の妻を持ち、最後の妻との離婚騒動は有名な話です。
昭和54年から平成元年まで日本歌手協会の三代目の会長を務め、勲四等旭日小綬章を授与されています。・・が、平成3年6月10日午前4時急性心不全のために亡くなりました。現在多磨霊園で永眠しています。享年82歳でした。
此処で戦前の芸能界の想い出は、まだまだ沢山ありますが、私が小学校の六年生になった昭和13年の頃の事をここで振り返って見たいと思いますので、一時中断いたします。
飯田昭一
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