[150]昭和の歌「天竜下れば」

2019年3月21日

第150回
■昭和の歌「天竜下れば」
  『天竜下れば』唄・市丸・・昭和8年
 

 ♪ ハアー天竜下ればヨー ホホイのサッサ
    飛沫に濡れてヨ 咲いたさつきに
    咲いたさつきに 虹の橋
    ホンに アレはさの
    虹の橋           ♪

此の歌は#3まであります。
此の「市丸姉さん」は当時は「小唄勝太郎」と並んで有名な芸者歌手でした。子供だった私達にはあまり興味のある唄ではありませんでしたが、父の世代には大持てだったと思いますよ。
「市丸」は明治39年7月16日に長野県松本市で生まれました。本名は後藤満津江と云います。19歳の時に上京し、昭和6年に浅草で芸妓をしているときに、日本ビクターの専属となり、「花嫁東京」でデビューしました。その後「天竜下れば」や「チャッキリ節」などが大ヒットし、花柳界出身歌手の草分け的の存在となりました。
美貌の「市丸」でレコードは次々にヒットしていましたが、常に「小唄勝太郎」と張り合って居たようです。又昭和9年頃からは各映画会社からの出演依頼も多かったようです。
「伊那の勘太郎」は私も見ましたが、市丸も特別出演していたようです。戦時中の映画でしたが、この頃は市丸も屡々戦地に慰問に行っていたようですが、彼女は非常に気も強かったようです。ある時慰問先で酔っぱらった将校が、嫉つっこく酒の酌をしろ・・と強要したそうです。
市丸は断ったらしいですが、将校は刀を抜いてまり掛かったと云います。市丸は「大和撫子として最後を飾りたい」と云って足袋を履き直したと云います。すると将校は其の形相におそれを成して諦めた・・と云うことです。昔の軍隊の威張った将校には、こんな奴はいくらも居ましたね。
戦後には昭和24年の「三味線ブギウギ」が有名です。そして10年間続いた「三越唄ごよみ」などで新しい小唄ブームを作りました。昭和47年には紫綬褒章を授章、更に昭和56年には勲四等宝冠章が授与されました。しかし、テレビに映画にと活躍した人生でしたが、平成8年に卆寿を迎えましたが、平成9年2月17日に心不全のために死去しました。享年90歳でした。
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