[147]昭和の歌「マロニエの木陰」他

2019年3月21日

第147回
■昭和の歌「マロニエの木陰」他
  『マロニエの木陰』唄・松島詩子・・昭和12年

♪ 空はくれて 丘の涯に
輝くは 星の瞳よ
なつかしの マロニエの木陰に
風は想い出の 夢をゆすりて
今日も返らぬ 歌を歌うよ  ♪

此の歌は#3まであります。
此の「マロニエの木陰」は私の勘違いか知りませんが、戦後に二葉あき子が歌っていたような気がしますが・・
此の「マロニエの木陰」はタンゴのメロデーで、とても好きな歌でした。此の「松島詩子」は戦前の軍国調の歌謡曲も沢山歌っていましたね。彼女は明治38年5月18日山口県柳井の出身で、本名は内島シマと云います。柳井高等女学校を卒業して、昭和6年に文検に合格し、広島県忠海高等女学校の教諭になりました。後に声楽家を志して上京して、淺野千鶴子などに師事して、昭和7年にコロムビアから「ラッキーセブンの歌」でデビューしました。そして昭和9年には「潮来の雨」、そして12年には此の「マロニエの木陰」がヒットして、また各地の小学校での歌唱指導などを行って「月の砂漠」の流行に功績があったと云います。
またレコード会社によって芸名がまちまちで10幾つもあるそうです。昭和53年には勲四等瑞宝章が贈られています。しかし、平成8年11月19日に永眠しました。享年91歳でした。故郷の柳井市に「松島詩子記念館」があるそうです。
  『満州娘』唄・服部富子・・昭和13年

  ♪ 私十六 満州娘
    春よ三月 雪溶けに
    迎春花が 咲いたなら
    お嫁に行きます 隣村
    王さん待ってて 頂戴ね  ♪

此の「服部富子」と云う歌手は、若く明るい人で、当時の歌手の中では、異色の存在に見えましたね。何か昨日の事のように思われますが。もうこんなに経っているんだな・・と今更ながら思います。
彼女は大正6年に大阪市で生まれました。作曲家の服部良一の妹です。始めは宝塚歌劇団にいましたから、中々の可愛い美人でした。考えて見ましたら昭和13年頃、マキノ雅弘監督の「ネズミ小僧」と云う映画を見て居るんです。それで姿を知っていた・・と云うわけです。歌手になって昭和12年20歳当時のこの曲「満州娘」や「霧のサンフランシスコ」などのヒット曲を出しています。そして昭和28年には「アリランルンバ」で第4回NHK紅白歌合戦にも出場しています。しかし、昭和56年5月17日に64歳の生涯を閉じました。