[143]昭和の歌「アラビヤの歌」他

2019年3月21日

第143回
■昭和の歌「アラビヤの歌」他
  『アラビヤの歌』唄・二村定一(ふたむらていいち)・・昭和4年

  ♪ 砂漠に陽は落ちて
    夜となるころ
    恋人よなつかしい
    歌を歌おうよ   ♪

此の歌もずいぶん歌われていましたね。何となく哀愁の漂った歌で、人々の心を休ませた・・と云う感じで、しんみりとしたのではないでしょうか?
此の歌手も名前は有名でしたが、姿は見た事がありませんでしたが、本名は「林貞一」山口県下関出身、明治33年生まれで、昭和初年にジャズシンガーとして出発し、その後にエノケン一座を結成しましたが、喧嘩別れをして満州で公演していたようですが、戦後エノケン一座に復帰しましたが、昭和23年9月12日に公演中に病死しました。享年48歳でした。
  『女給の唄』唄・羽衣歌子・・昭和6年

  ♪ わたしゃ夜咲く 酒場の花よ
    赤い口紅 錦紗のたもと
    ネオン・ライトで 浮かれておどり
    さめてさみしい 涙花      ♪

此の歌も夜の盛り場で大分歌われたもので、子供のころにはずいぶん聴かされたものでした。しかし此の歌手の姿は見たことがありませんでしたが、後に写真は見たことがありますが、幾つくらいの時かは分かりませんが、華やかな感じではなく、何処にでもいるような「おばちゃん」と云うタイプです。
  『涙の渡り鳥』唄・小林千代子・・昭和7年

  ♪ 雨の日も風の日も 泣いて暮らす
    わたしゃ浮き世の 渡り鳥
    泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
    泣けば翼も ままならぬ      ♪

此の小林千代子の歌う此の歌は、前にも書きましたよね。子供のころチンドン屋が盛んに奏でていました。チンドン屋の後にくっついて行きましたよ。だから此の歌はすっかり覚えていました。戦中には「小林千代子」は「徳山 璉」と戦地に慰問に行って居ましたが、今はどうしていますかね?。「小林千代子」は沢山の歌を歌っていますが、此処でもう一曲記しておきます。
  『旅のつばくろ』唄・小林千代子・・昭和8年

  ♪ 茜い夕陽の 他国の空で
    しのぶ思いは みな同じ
    泣いちゃいけない 笑顔をみせて
    強く生きるの いつまでも   ♪

此の歌は#3まであります。
「小林千代子」はいつ頃生まれた人であるのか、名鑑に載っていませんでしたので分かりませんが、昭和3年頃のラテン音楽を最初に吹き込んだ人ではないかと思われます。昭和13年頃には「徳山 璉」等と中國華北に慰問団に参加した若い時の写真がありますが、丁度筆者の母親くらいの年齢でしょうか? とすると百歳ですよね・・今なら。