[144]昭和の歌「十九の春」他

2019年3月21日

第144回
■昭和の歌「十九の春」他
  『十九の春』唄・ミス・コロンビア・・昭和8年

  ♪ ながす涙も 輝きみちし
    あわれ十九の 春よ春
    菫つみつつ 散る白露に
    泣きし十九の 春よ春   ♪

此の歌は#3まであります。
ミス・コロンビアとしての唄をもう一つ記しておきます。
  『並木の雨』唄・ミス・コロンビア・・昭和9年

  ♪ 並木の路に 雨が降る
    どこの人やら 傘さして
    帰る姿の なつかしや  ♪

此の歌も#3まであります。
此の「ミス・コロンビア」の歌った二曲は、当時SPレコードは家にありましたから、子供の時から愛唱歌でした。どちらも好きな曲でした。
その後昭和13年に松竹映画「愛染かつら」が大ヒットし、主演の田中絹代が扮する「高石かつえ」が大ホールで白衣を着た姿で「旅の夜風」を歌った姿は、今でも忘れられません。
その「旅の夜風」を吹き替えで歌ったのが、この「ミス・コロンビア」だったのですが、此の「愛染かつら」はその後「霧島昇」とデュエットでレコード化され、「ミス・コロンビア」は芸名の「松原 操」となり、「霧島 昇」と夫婦になりました。
「霧島 昇」のことは、又後で書きますが、当時は一世を風靡した歌手だったと思いますね。
「松原 操」は北海道小樽市の出身で、本名を坂本操と云いましたが、生年月日は分かりません。彼女は東京音楽学校声楽科・研究科を卒業し、昭和8年にミス・コロンビアの芸名で「浮き草の唄」でデビューしました。その後は先ほど書きました「愛染かつら」が切っ掛けで結婚し、おしどりコンビで活躍していましたが、夫の「霧島 昇」が昭和59年4月24日に亡くなると、後を追うように同年6月19日に亡くなりました。お子さんは1男3女が居るそうです。
  『無情の夢』唄・児玉好雄・・昭和10年

  ♪ あきらめましょうと 別れてみたが
    なんで忘りょう 忘らりょか
    命をかけた 恋じゃもの
    燃えて身を焼く 恋ごころ   ♪

此の歌は#2までです。此の歌は覚えていますが、歌っている歌手の「児玉好雄」と云う人は、あまり記憶にありませんし、写真を見ても思い出せません。
名鑑を見ると、本名、児玉義雄、広島市出身、生年月日不詳。昭和8年ミラノ音楽院修了。その後、日本ビクター、キングレコード専属歌手として活躍、舞台芸術学院創立に参加し、後に昭和54年に第三代目学長となる。教え子に、いずみたく、伊丹十三、堀内完、山田吾一、うつみ宮土理、李札仙らがいる。
昭和61年10月20日没。享年不詳。・・となっています。
  『雨に咲く花』唄・関 種子・・昭和10年

  ♪ およばぬことと 諦めました
    だけど恋しい あの人よ
    ままになるなら いま一度
    ひと目だけでも 逢いたいの  ♪

此の歌は#3までありますが・・聞いたことがあるような、ないような・・その程度のことしか分かりません。写真もありませんので、姿形も知りません。又、名鑑にも載っていませんので、すべては幻の歌手になっています。
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