[132]淡谷のり子(あわやのりこ)-2-
第132回
■淡谷のり子(あわやのりこ)-2-
彼女が「ブルースの女王」と云われたのは、ここからだと思いますよ。昭和12年に「秋のブルース」と「別れのブルース」が発表されて、これが大ヒットしたそうです。昭和12年と云えば日支事変が勃発した年ですね。国民には色々な思いがあったのでしょうね。
『別れのブルース』昭和12年
♪ 窓を開ければ 港が見える
メリケン波止場の 灯が見える
夜風 汐風 恋風のせて
今日の出船は どこへ行く
むせぶ心よ はかない恋よ
踊るブルースの 切なさよ ♪
此の唄は#2まであります
そして翌年、昭和13年にはまたまた大ヒットの曲が出ました。「人の気も知らないで」と「月の小みち」と「雨のブルース」です。この年は東京オリンピックは中止され、国家総動員法が施行され、また勤労動員が始まるなど、益々戦争の機運が高まって来ました。此の「雨のブルース」を聴いた国民は、心のやり場のない暗い雨空を見ていたのです。
『雨のブルース』昭和13年
♪ 雨よ ふれふれ
なやみを 流すまで
どうせ涙に 濡れつつ
夜毎 なげく身は
ああ かえり来ぬ
心の青空
すすり泣く 夜の雨よ ♪
此の唄は#2まであります。
続いて昭和14年には「東京ブルース」と「夜のタンゴ」、昭和15年には「満州ブルース」、昭和16年には「すずかけの道」、そして戦後昭和23年には「嘆きのブルース」と「君忘れじのブルース」、昭和24年には「黄昏エレジー」、昭和25年には「東京ルンバ」、昭和26年には「白樺の小径」、昭和27年には「星降る港のブルース」、昭和28年には「ルンバ・サファイア」、昭和29年には「雨のプラットホーム」、昭和35年には「忘れられないブルース」、昭和38年には「遠い日のブルース」、昭和46年には「昔一人の歌い手がいた」、昭和53年には「シャルメーヌ」、平成4年には「抱いて」、そして平成5年には「揺り椅子」・・・と主立ったものを列挙しました。
<続く>
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