[148]昭和の歌「湖畔の宿」他

2019年3月21日

第148回
■昭和の歌「湖畔の宿」他
  『湖畔の宿』唄・高峰三枝子・・昭和15年

  ♪ 山の淋しい湖に
    ひとり来たのも 悲しい心
    胸のいたみに たえかねて
    昨日の夢と たきすてる
    古い手紙の うすけむり  ♪

「高峰三枝子」と云えば、ご存じの方も多いと思いますが、松竹の「唄える大女優」でした。憂いを含んだ其の声、唄い口は他の歌手にはない趣がありましたね。此の歌は戦時中の真っ直中でしたから、忽ち軍部・当局から発禁処分されました。こういう色恋の唄は許される状況ではなかったのです。しかし、良い唄だと思いますよ。ですけど私がSP盤のレコードを手に入れたのは戦後でした。たしか1円40銭だったと思いますよ。此の歌は#3までありますが、続いて次の曲を出しています。
  『南の花嫁さん』唄・高峰三枝子・・昭和18年

  ♪ ねむの並木を お馬のせなに
    ゆらゆらゆらと
    花なら赤い かんなの花か
    散りそで散らぬ 花びら風情
    隣の村へ お嫁入り
    おみやげはなあに
    籠のオーム
    言葉もたったひとつ
    いついつまでも     ♪

此の歌は#3までありますが、戦争の気配を感じさせないさわやかな唄でした。
その他には戦後になりますが、昭和23年に「懐かしのブルース」や昭和24年には「別れのタンゴ」などを唄っています。
「高峰三枝子」については、後に映画の項目のところで書くつもりではありますが、簡単に略歴を記しておきます。
彼女は大正7年12月2日に、父を高峰筑風と云う筑前琵琶の宗家に、東京府豊多摩郡渋谷村で生まれました。本名を鈴木三枝子と云います。昭和11年に東洋英和女学院を卒業しましたが、同年に父の急死に合い、松竹大船に入社しました。そして「母を訪ねて」の初演以来、理知的で美しい令嬢役でスターとなりました。以来唄に映画に大活躍して、昭和51年ブルーリボン賞助演女優賞。昭和60年に紫綬褒章。同年に毎日映画コンクール特別賞などを受賞し、晩年には自叙伝「人生は花いろ女いろ」を出版しました。
しかし、平成2年5月27日、脳梗塞による呼吸不全のために死去しました。享年71歳でした。