[66]出洲海岸の思い出
第66回
■出洲海岸の思い出
出洲海岸と云っても現在は埋め立ててありませんから、ご存じはないと思います。
出洲海岸とは、千葉と稲毛のあいだにあった海岸です。この辺は見渡す限り遠浅の海でした。朝から夕方5時くらいまでは子供のヒザくらいしか水はなく、岸から1Km位はそんな状態の海でした。夕方になるとようやく満潮になるので、それでも子供の首くらいにしか水は来ませんでした。だから子供の海水浴や潮干狩りには安全で遊べる海岸でした。
ここの浜辺にうちのお店の寮がポツンと一軒建っていました。普段は誰も住んでいませんでしたから、凄く古くてボロ家でした。
昭和12年7月のことです。丁度支那事変の起こった時でしたが、家では母が6人目の子の出産でしたので、上の子供・・私と妹の三人が追い出されて、女中一人と合計四人が此の出洲海岸の寮に追いやられたのです。丁度7月の21日から夏休みでしたからタイミングは良かったです。持って行ったのは当座の着替えと、後はポータブルの蓄音機と何枚かのレコードです。女中は家でお産がありますから二、三日で帰りましたから、八月一杯まで八歳と六歳の妹との三人暮らしとなりました。
此の当時は千葉方面へ行く列車は、両国駅が始発駅でした。勿論電車ではなく汽車ぽっぽ・・蒸気機関車です。(蒸気機関車については後の項目で詳しくお話しします)客車はボディに赤い線の入った三等車です。座席は全部板で固いです。そして出洲海岸までは約1時間掛かりました。
駅を降りると、駅前に屋台のような小さな店があって、そこで表で七輪で串に刺した蛤を売っているのです。焼きハマグリです。これが良い匂いをさせていますので、みんな立ち食いで食べていました。でっかいハマグリのむき身が三個付いていて十銭だと思いますよ。炭火で焼いて、甘辛いタレを付けているだけですが、何とも食べるのが楽しみでした。
そして寮について、閉まっている雨戸を開けて、さて入ろうとしたとき、砂地に建っていた訳ですが、驚いたことに自分の足を見た所、真っ赤になるほど沢山の「蚤」がくっついて居るんです。これにはビックリしました。形は小さい「蚤」でしたがこんなに沢山、砂地に居るとは思いませんでした。もう払い落とすことも出来ませんので、バケツに水を汲んできて洗い流しました。
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