[15]毒された多数

ジェンダーフリーという言葉をよく耳にするようになった。そして早くも、この言葉が敬遠されようとしている。フェミニストの一部が、この言葉を多用したことに依るものだろう。
ジェンダーフリーの意味は、おおまかには、人を男女の枠にはめない、という単純なものだ。
枠にとらわれず、好きなことをすること。男女の両方を楽しむこと。
これが、職業選択の自由と、いったいどこが違うかね?
それとも人は、生まれながらにして職業を決められないといけなかったかね?
男が男らしく、女が女らしく――などというものは、本来、避けるべきものだよ。
むしろ男が女らしくあり、女が男らしくあったほうがいい。バランスをかんがえればね。実際はそうあるべきだよ。
そもそも男女の質は違うんだから、歩み寄ろうとしても、完全に歩み寄れるものではないよ。
ただしだよ、男が女らしく、女が男らしくあれば忌み嫌われないかね?
あなたは排除しようとしはじめない?
それはつまり、彼らが少数派であるためかね?
少数派は、いつも人々から忌み嫌われ弾圧を受けてきたよ。
これは多数が多数派でいられるための保身と、少数派への嫉妬と恐怖がそうさせるのさ。
こういった行為は、人がはたらいた悪事のなかでももっとも醜いものの一つだよ。
考えてもみてほしい。多いからといって正しいわけでもなければ、少ないからといって悪いわけでもない。ただ、多数派がみずからの都合のために少ないものをつぶしてきただけ。これを醜いといわずして、なにを醜いというね。
どうして共存しようとはしないのかね?
そんなに相手のことを尊重できないかね?
少数と多数だけじゃないよ。男女はなぜ、尊重しあえないね?
つよい立場のサイドは相手を蔑視し、よわいサイドは卑屈に迎合してゴマをする。今の男女の姿だよ。
これは、嘆かわしいことじゃないかね?
今、相手を蔑視しているのはどちらかね?
そして、へりくだっているのは?
民主主義もおなじことだよ。過半数を握ったものが勝利となる決まりだが、多数派が少数派を理解するよう努めれば、なんと円熟したものになるだろうね。
白黒ですべて割り切れるものでないよ。勝ち負けで割り切れないことだってある。
男女のどちらかに、あなたを強要など、本当はできやしないんだから。いつもあなたの手には選択が握られている。
そして覚えておくといいよ。枠をはなれ、自由を得れば得るほど、円熟味が必要になることをね。
椎名蘭太郎