冷静と情熱

「冷静と情熱のあいだに」という映画がヒットしました。原作は辻仁成と江國香織のふたりの作家による同じ題名のふたつの小説です。男性側からのストーリーと女性側からのストーリーを合わせて読めるという試みも出版された時非常に新鮮に映りました。

 さて、このヒットの裏にはタイトルのネーミングにあるような気がしてなりません。映画と小説はラブストーリーですが、何につけても今の日本人にかけているものが「冷静と情熱」だからです。

 朝から晩までゲームをしている場合「夢中」と言っても「情熱」とは普通言いませんし、試験に合格するために徹夜で勉強することも「情熱」とは言わないでしょう。となれば「情熱」というのは夢や目標に向かって自分が積極的に向上していくもの、あるいはチャレンジしていくもの、しかも継続するものをさしていうのでしょう。生きがいや存在意義と言ってもいいかも知れません。社会の第一線でばりばり仕事をしているような人でも「情熱」を持ってやれる人は大変幸福ですし、輝いて見えます。

 最近「自分のやりたいことがないから就職したくない」という若者も増えています。「情熱をかたむけるものが持てない」のはどうしてでしょうか。誰にでも「他人には負けない技能や能力」が何かあるはずです。それを見つけ、生かす教育をしていないからです。あいも変わらずオールラウンド型のテストの結果偏重型の評価をしており、それを人間の価値感の基準にまでしてしまっています。それに加え、親の過保護があります。親が次から次へと転ばぬ先に準備をしてくれます。すると、自発的に責任を持って判断する、苦労してでも何かをやり遂げるという力はだんだん弱くなっていきます。人間づくりで失敗すれば、やがてその人の所属する組織、すなわち政府、地方公共団体、企業も活気がなくなり、事なかれ主義、ついには腐敗します。

 「自分はAという職業の方が興味があるが、Bという職業の方が体裁もいいし、給料もいいからBにしよう」というのは冷静な判断と言うでしょうか。単なる損得勘定か体裁を気にしているとしか私には見えません。しかし、長い年月の間には損得も体裁も変わることがあります。それで後悔する人はたくさんいるはずです。結婚相手を選ぶにしても同様のことが言えるかも知れません。冷静沈着というくらい、冷静という言葉にもかなりの深さがあります。単に合理的であったり、喜怒哀楽が少ない人を冷静な人とは呼ばないでしょうから。

 情熱の対極に常に冷静がある、つまり片方だけでは存在しない気がします。日本には世界のトップシェアを持つ中小の製造業がたくさんありますが、そこの経営者たちはサラリーマンには真似のできない情熱を持っておられ、誰にも負けない点は何かという分析や研究を冷静にされています。誰にも負けないこと、それはいかに人の役にたつかです。常に情熱と冷静が繰り返す波の中にもまれていてそれが生きる活力にもなっているのだと思います。

 一年の目標を決めるこの頃、まず、本当の自分探しをしてみませんか。夢中を情熱と勘違いしたり、目先の損得を冷静さと勘違いしないように

2002.01.10

河口容子