ひがみといじめ

 先の連載でもお伝えしましたが、16日間でアセアン 3ケ国を駆け足で出張して戻ってきた私の目に映った日本は「閉塞感」のかたまりでした。半月以上経っても相変わらず鈴木宗男議員は議席に座り続けているのです。そのうち、辻元、加藤両議員の辞職、田中真紀子議員スキャンダルと議員とお金をめぐる騒動が次から次へとあらゆる陣営で起こっています。

 ふたつ感じたことがあります。言い古された言葉ですが、政治家の倫理観。「加藤さんは政治家としては優秀なんだけどねえ…」と言った人がいましたが、自分の周囲で流れている資金の額や種類に対して認識もできない、あるいは役特を享受しているのなら、一般の市民としても落第で、そんな人が天下国家を論じること自体がおかしいと思います。

 辻元元議員についても「お金がなかったから。」というような発言を聞きましたが、お金がなかったら強盗でも殺人でもしていいのかと言い返したくなり、「新人で何も知らなかったから。」という発言にも、そういう悪習を撤廃しているパワーと良識を彼女は持っているのではないかと期待していただけに落胆しました。最近は日本の政治家とは相当な悪人でエゴイストでなければ務まらないとすら思っています。

 それにしても次々と、なぜこうもタイムリーに目だって派手に活躍している人が槍玉にあげられるのでしょうか。まさに「出る杭は打たれる」のことわざどおりです。権力とお金はイコールでそれを握るととたんに日本人は図々しくなり、握れなかった人間には「ひがみといじめの構造」が発生します。

なぜなら、たとえば秘書の名義貸しの問題であれば、ルールを変えれば済む話です。昔は民間企業でも架空名義のアルバイトなどがいて節税しているケースがありましたが、今はまずできません。金融機関の口座も架空名義はもう作れません。同じように議員秘書にしても議員を事業主に見立て一議員につきいくらと支給してあとはその中でやり繰りさせる、あるいは秘書の勤務規則を見直し実態がなければ支払わないなど、民間ではとうの昔に当たり前にやっていることが議員の場合はなぜ野放しにされているのか、不思議なことばかりです。

マスコミを含め、解決策を考えず、スキャンダラスな部分のみほじくりあっている所が「ひがみといじめの構造」の特徴です。企業の不祥事で内部告発による発覚というのが多いようですが、これも単純な正義感から内部告発をしているケースより、たぶん処遇面などで不満をもつ内部の人間による「恨み、つらみ」が内部告発となって出てくるのではないかと推察します。

ひがみ、いじめ、恨み、つらみといった感情は一気にすさまじいエネルギーを発します。「目の上のたんこぶ」や「しゃくにさわるあの人」が失墜することで溜飲を下げているようでは、改善、改革などはとてもできません。他人を追い落とすことにより得る快感は瞬時のものであり、真の幸福感につながるわけがありません。しかしながら、そういうことに楽しみを見出す人が増えるということは、努力しても損、誠実に生きても損する社会になっているということを暗にほのめかしているような気がしてなりません。

2002.04.18

河口容子