小泉首相の訪朝とともにもたらされた拉致された方々のあまりにも多い死亡という情報に大きな悲しみと衝撃が列島を走りました。その後の一連の報道を見て日本人について次のように感じました。
総論賛成、各論反対。これは会社員であった時も感じましたが、日本人というのは総論では実に前向きで立派な大人の判断をします。ところが、いざ自分の身に及んで来ると反対意見が多くなり、重箱の隅をつつくような議論となり、時には各論に感情が入り混じって総論まで吹き飛んでしまうことすらあります。総論という幹から各論という枝葉をつけて体系的に物事をとらえるという訓練がどうも足らない気がします。
総論として日本と北朝鮮とは国交正常化に向けて努力すべきです。国交がなければ、何ごとも水面下、つまり闇取引でするしかなく、拉致された方々が本当に亡くなったのか、どんな暮らしをされていたのかは、わかるすべもなく、また嘘をつかれても抗議する手立てもないからです。ベールに包まれた独裁国家、それもかなり危険と思われている国を早く国際社会に引っ張り出し、国際ルールを守ってもらう、それが特に東アジアの安全にもつながり、困窮している北朝鮮の国民の生活の向上にもつながるのではないでしょうか。この総論の下、拉致された方々の消息をどうやってつかむかという方法論に早急に入っていくべきで、外務省が不親切だの昔警察は何もしてくれなかっただの、という感情論で騒ぐどころではない気もするのですが。
「死ぬには早すぎる。」「死んだのならお墓があるはず。」「どこでどんな風に死んだのか」ご家族の不満はもっともですし、「命がけで拉致した人を北朝鮮が粗末に扱うわけはない。」という専門家の意見や元工作員の目撃情報なども乱れ飛んでいますが、これはすべて現在の日本という国に生きている人間の発想であって、北朝鮮の国家体制や思想とは食い違っているかも知れないのです。日本人はとうの昔に戦争は終わったと思っているものの、あちらはいまだに戦争中に受けた痛みを鮮明に覚えていて勝手に敵国視しているわけですから。
拉致された方々が生存されているなら北朝鮮人としてすでに20何年もの生活歴があるわけです。これは大変重い現実です。しかも風貌では見分けがつきにくいお国柄だけに、そんなに簡単に消息がわかるとも思えません。拉致問題は今扉が少し開いたばかりです。
国際社会というと、日本人はすぐ国連の活動や、海外で颯爽と働くビジネスマンや楽しい海外旅行を思い浮かべがちです。日本の近隣諸国、韓国と北朝鮮、中国と台湾は今でも戦時中であることなどつい忘れてしまっています。あれだけビン・ラディンやアフガニスタンと毎日騒いでいたのにもうほとんどの人は言われなければ思い出すこともないでしょう。今回の北朝鮮関連のニュースでもわかるように国際社会には、貧困、飢餓、病気、戦争、差別、言論の統制など悲しい現実があちこちに横たわっていることをまず忘れてはいけないと思います。
河口容子