「急遽APECのハノイへ」(2006年11月23日号)やって来た私はセミナーの最後にベトナムから伝わった音楽を雅楽として大切に保存している日本人の「千年を超える思い」(2006年11月30日号)を話しました。今の日本人になくなっているのがこの「大切にする」気持ちではないでしょうか。何でも長く大切にするには忍耐と勇気が必要です。
さて、午前の部のセミナーも同行の工業デザイナー先生のあふれる写真スライドのプレゼン、万雷の拍手とともに無事終了しました。お昼は政府機関が主催者と講師用に個室を用意してくれましたのでほっとしました。聴講者と一緒ですと挨拶に来られる方、質問に来られる方が殺到、ゆっくり休めない事があるからです。
午後は企業が自社の製品を持ちよってのコンサルテーションです。これも申し込みが殺到し、40社ほどに絞られました。1社ずつ講師陣が商品の講評を行ない、日本市場向けの改良ポイントをアドバイスします。これは公開で行なわれ、他社も聞いていますのでプライドを傷つけないようにコメントするのに一苦労します。たまには「絶句」するような製品もあります。40社の中には少数民族の企業や孤児、身体の不自由な方の福祉団体もあり、さすが社会主義国だと感じました。他社の製品のコメントでも皆身を乗り出して聞いています。私の隣で一心不乱にメモを取っている若い男性がおり、彼が握り締めているノートが勢いあまって私にあたり押し飛ばされたりで、もう大変な熱気でした。
コンサルテーションは約1時間オーバーの4時間。講師陣はずっと立ったままで話しくたびれ、ベトナム人の通訳さんもペットボトルの水を片手に今にも倒れそうでした。参加者の女性から「日本語でコメントを書いてサインをして下さい。」と依頼されたので「日本語が読めるのですか?」とたずねると「記念にほしいのです。」少数民族の男性からは「一緒に写真を撮ってもよろしいですか?村に持って帰って見せたいのです。」とタレント並みです。政府機関の女性職員は眼鏡の奥をうるませ、「このような熱狂ぶりは初めて経験しました。うれしいです。本当にありがとうございます。」
その夜は政府機関主催のディナー。講師陣にとってはこの1日が何と長く、緊張に満ち満ちたものか。日本ではセミナーはあまたあり、不評であっても「まあ、あんなものでしょう。」で済まされる事が多いですが、途上国というのは非常に評価が厳しいのです。失敗しない自信はありますが、「感性のものづくり王国日本」の心をどこまで伝えられるかに苦心します。昨年の内容をベースに少しレベルアップし、より実務的な内容にし、聴講者のレベルを見ながら内容を変えられるようにかなり余力あるパワーポイント作りをしました。副長官からお礼とねぎらいの言葉をいただいた後、即来年の企画に話題が移りました。ベトナムの発展を見守り、育てていく事をこの手に委ねていただけ、本当に光栄に思いました。
ディナーが終わり、部長自らが運転してホテルまで送って下さることになりましたが、歩道に立った副長官が直立し丁寧にお辞儀をしてから、手を振って見送ってくださいました。ベトナム女性のアオザイの立ち姿も美しいですが、私はベトナム男性にも立ち姿の美しい人が多いような気がします。徴兵制度があるせいでしょうか、背筋がぴんと伸び、少しあごを引き、挨拶のときなど目がぴたっと静止します。その強い意志を秘めた思慮深いまなざしにとても魅力を感じます。
私たちの快適なハノイ生活を支えてくれた功労者に政府機関の運転手さんがいます。滞在期間中は、余暇を利用しての市内見物も「APEC通行証」をつけた政府機関の車を利用させてもらえたので、交通規制も何のそのでした。また、深夜残業をしてもらうのは申し訳ないからと断ったにもかかわらず、夜の9時にホテルまで迎えに来てノイバイ空港まで送ってくれました。
先々週号でブティックホテルに泊まったと書きましたが、小規模ホテルならではの思い出がいくつかあります。朝のレストランやホテル内の小さな土産物屋でよく会うイタリア人のおじさん4人組。会えば必ず会話をするようになりました。そして小さな土産物屋の女性。待ち合わせ時間などに少し余裕があるといつもこの土産物屋で遊んでいたので彼女とはすぐ仲良くなりました。シャンパン色の地に織柄が入ったアオザイを着た小柄で知的な女性です。イタリア人おじさん4人組を1人でやりこめるほどの英語力の持ち主です。
帰国日、ロビーで私を見つけた彼女は「もうお帰りですか?何時にお発ちでしょうか?」私がフライトの時間を告げると「遅いので大変ですね。少しお待ちになってくださいね。」急いで店に戻り、彼女はきれいな螺鈿細工の箸置きをプレゼントしてくれました。「日本人ならお箸を使いますよね。どうぞお使いになってください。」あのイタリア人おじさんたちが彼女の店で山ほど買い物をし、箸と箸置きのセットをおまけにねだったものの、彼女は「イタリア人はお箸を使いませんでしょう?」と拒んだのです。私が彼女の店で買ったのはハノイの絵地図だけだったので申し訳ないと思い、お土産のストックに持っていたハンカチをお返しに名刺を添えて渡しました。彼女は名刺を取って「カワグチ」としばらく小首をかたげ、「ゴールキーパー?」とぽつりと言いました。窓辺で本を読んでいるのが似合いそうな彼女が川口選手を知っているとは驚きでした。「ええ、私は彼が好きです。あなたは?」と聞くと「好きです。ハンサムですもの。どうぞ、次にハノイにお越しになる時もぜひお立ち寄りください。」「もちろんです。」こうして意外にも川口選手のおかげで小さな交流が盛り上がり、真夜中のハノイを成田に向け飛び立ちました。
成田空港に到着する直前に朝焼けの中から朝日が昇るのを見ました。その朝日が私にはスマイルマークのように見え、「お帰り。頑張ったね。」と言っている気がしました。
河口容子