その昔、化粧品メーカーCMのコピーに「女性の美しさは都市の美しさです」というのがあり、ずっと印象に残っています。かつて文化大革命の頃中国を訪れた日本の著名ビジネスマンが「最初ここには女性はいないと思った」と感想を述べたのともオーバーラップします。当時中国では女性もマオカラーの上着にズボンという紅衛兵ルックで化粧っ気ひとつなかったからです。
バブル経済の始まった頃ニューヨークに出張しました。ブティックの女性店員に「あなたは日本人でしょう?」と聞かれ、国籍不明を自負する私としてはちょっとがっかりして理由をたずねました。「だってそんなきれいな洋服を着てメイクもばっちりしているのは日本人しかいないわ。ちょっと触ってみてもいいですか?」当時のニューヨークはお世辞にも治安は良いと言えず、同性であっても触られるのはこわい気がしましたが、職業柄どうしても私の着ている洋服に関心があったようです。それから10年ほど経て、日本のバブルがはじけ米国の景気が良くなってまたニューヨークに出張すると街は見違えるように清潔で安全になり、行き交う女性たちもぐっと美しく見えました。
都市を人間の生活する器、大きな家と見立てれば女性が美しければ都市も美しく見えるのは当然です。ただし、経済と安全が確保されなければ女性は美しくならないと思います。私自身は第2次オイルショック後の大就職難の年に社会人の第一歩を踏み出し、バブルもバブルの崩壊も経験しているだけに実感としてよくわかるのですが、景気が良ければ女性というのは放っておいてもおしゃれをする生き物です。景気が悪ければ女性には良い職がありませんし、父親、夫の収入も減り、おしゃれができなくなります。景気と連動する部分もありますが、治安が悪ければ女性が外出を控えたり、目立たないような格好となります。景気や治安が悪ければ女性は美しくなれず、都市も美しくない、というわけでこれは海外のほとんどの国にもあてはめて言えるのではないでしょうか。
その実、バブル時代の女性の服装は今よりも華やかでしたし、街全体も活気にあふれて見えました。バブルの崩壊以降は女性のファッションはカジュアル化が進み、色も落ち着いたものが中心となりました。カジュアル衣料は単価が低いし、着まわしを考えると華やかすぎる色は敬遠されます。財布のひもがしまると自然こうなるのか、逆に節約が生み出したトレンドなのか私にはわかりません。メーカー側の立場からするとカジュアル衣料で無難な色をそろえればより多くの購買層をカバーできるというメリットもあります。ところが最近、ガーリーな(少女っぽい)アイテムが復活してきたところを見ると、景気の良さを感じ取れますし、春の到来とともに日本の街はフリルやシャーリング(ひだをつけるのに縫い縮めること)で色づくのかも知れません。
1昨年にハノイに行ったときは一般女性の服装が白、グレー、黒が多いような印象を受けましたが、昨年11月にはずいぶんカラフルになった気がしました。そして衝撃的だったもの、それは生ゴミを回収している若い女性の長い茶髪でした。東南アジアは黒髪自慢の女性が多く、茶髪率が低い、つまり髪を染めるコストは割高のはずです。作業服でもくもくと仕事をする彼女のおしゃれのポイントなのかも知れませんが、こんな所にもベトナムの経済成長を感じることができました。
河口容子
【関連記事】
~日傘をさす女~