[330]春の別れ

 気候としての春は寒暖を繰り返しながら除々にやって来ますが、社会的には暦で仕切られた年度末で別れと出会いの交錯する季節が春です。
 先週号でベトナム投資セミナーの様子をお伝えしましたが、ちょうど私の席の前列に座っていたベトナム大使館の S商務官が振り返って「仕事のお話があるので来週お時間はありますか?」と私に聞きました。周囲の日本人が一斉に注目したので「はい」と短く答えると「それではのちほどメールをさしあげます。」 S商務官も大使館勤務が長いのでそろそろ帰国するのではと先日知人とその話をしたばかりです。
 S商務官は2006年と2007年のベトナムでのセミナーの日本側の窓口で、また東京でベトナム関連のセミナーをやらせていただいた時も大使館を代表してスピーチをしてくださいました。その他、アセアン諸国やベトナム関連の催しでも私の姿を見つけると母親に走り寄る子どものようにやって来ます。ご自分でも「完全主義」と言うくらい何事にも丁寧、迅速、正確に対応され、風貌は賢そうで物腰も上品ですが、どこか要領の悪いところも垣間見せ、その意外性に驚くこともありました。
 大邸宅を想わせる大使館へ行ったのは雨で寒い日でした。正門から前庭を通り階段を登って正面玄関にたどりつくのですが四季折々の植物の風情が楽しめます。ベトナム人にとって寒さがこたえるだろうと思い「今日は寒いですね。」と S商務官に言うと「雪になるかも知れないと予報で聞いていたので良かったですね。春は絶対来ますから大丈夫ですよ。」と逆に私を励ましてくれました。
 通してくれたのは「アサヒの間」。格子戸の外枠が赤に塗られ、ベトナムの伝統家具の置いてある応接間でした。「普通のお宅でもこのような伝統家具は使われていますか?」「はい。私はモダンな家具が好きですが、両親はこのような家具を使っていますよ。」そこでやっと S商務官は商業省へ帰任することを切りだし、以前からお願していた案件を現地でもフォローするので引き続きよろしくということでした。「ハノイへいらしたら絶対お電話くださいね。事前にメールでも知らせてくださるほうがいいですけれど。」ベトナム人はあまり見えすいたお世辞は言わないので本気なのでしょう。「ええ、もちろん。」
 先週号でもふれた製油所の話になり「あれは私のふるさとです。」「ズンクアットご出身でしたか?それはおめでとうございます。」「紆余曲折があり困難なプロジェクトです。それにしても、何であんな所に建てたのだろう?まあ、中部は貧しい所ですから産業が必要ですが。」「南部の油田から遠いからでしょう?でも中部なら物流面で真ん中だからいいじゃないですか。」ベトナムは南北に長い国で特に中部はくびれたウエストのように幅がありません。北のハノイ、南のホーチミンシティに比べ、中部は産業の発達が遅れており、教育がさかん、子どもを官僚にするのが出世の早道と聞いたことがあります。
 皇太子殿下のベトナム訪問、雅楽のルーツのひとつはベトナムにあること、アセアン10ケ国で最も親しみを感じるのは漢字を使っていたことや箸を使うことなど、 S商務官と出会ってから 3年半くらいになりますが、雑談をこんなにしたのが最初で最後になろうとは。「日本にはどのくらいいらっしゃいましたか?」「 4年半です。」「正直言って日本を離れたくないです。でも夫婦二人で日本に来たのに子供二人がこちらで生まれ四人で帰るなんてね。」「メイド・イン・ジャパンのお子さんたちですか?ベトナムのご両親たちには素敵なお土産ですね。あなた方ご一家は日本とベトナムの良い架け橋になれます。」大使館員は日本人に比べても特権階級。しかも日本で子どもが生まれれば病院設備からベビー用品まで至れり尽くせり、ベトナム庶民からしてみれば夢のまた夢。
 後任には2007年12月13日号「ハノイで味わう」に登場する貿易促進機関の若手職員 M氏が来るそうで、上司の H氏は大阪に着任するようです。ご両人ともにハノイで大変お世話になりました。私とベトナムのご縁もよほどのものです。 S商務官とはまだ寒い春の別れとなりましたが、 M氏や H氏と日本で再会する頃には本格的な春になっている事でしょう。
河口容子
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