携帯電話狂騒曲

 電話は20世紀最大の発明とよく言われます。電話回線を利用したFAXやインターネットも含めて私たちのライフスタイルやビジネススタイルを急速に変えてきたことは間違いありません。ここへ来て携帯電話も従来中心であった若者のみでなく中高年層までユーザーが広がっています。また、携帯電話を使ってのゲーム、メール、銀行振込、各種情報と応用分野も日進月歩です。

 応用分野が進む割には向上しないのがマナーです。再三の電車内の放送にも係わらず平気で車内で携帯を鳴らし話している人。聞こえてくる限り、今そこでどうしても話さなければならない用事の人はほとんどありません。家にいると道を歩きながら馬鹿な話を携帯電話にむかって大声で話している人の声がいきなり飛び込んで来たり、外では自転車に乗りながら携帯電話で話している人とあやうくぶつかりそうになったり。最近では美容室でシャンプーをしてもらいながら携帯電話でおしゃべりを店内全員に披露していた女子高生に遭遇、寸暇もおしまず話しまくるというこの現象はいったい何なのかを考える以前に、周囲の他人の迷惑より、個人の勝手気まま優先という時代の風潮におそろしいものさえ覚えました。

私は電話嫌いで緊急時以外に私用で電話を使うことはめったにありません。ほとんどメールか郵便です。電話をかけるということは相手が何をしていようと無理矢理電話口に呼び立てる行為です。お風呂に入っていたり、食事の支度中であったり、来客中であったら申し訳ないと思うとなかなか電話をかける気になれません。その点、文書なら落ち着いたときに読んでもらえるし、繰り返して読むこともできる、嫌なら捨てるという選択権も相手にあります。

 そういう私もビジネスでは携帯電話の恩恵に預かっています。外出先からの会社への連絡、初めて訪問する取引先に道順を聞きながら行くときなど公衆電話をさがしまわる手間がなくなりました。タクシーや新幹線で移動中でも連絡が取れますし、取引先から確認の電話をもらうまで席に座ってずっと待ち続ける必要もなくなりました。待ち合わせをしてはぐれた時にもお互いの居場所を確認できます。

 便利な電話が自分のそばにいつでもどこでもある、これはたいした発明でもありますが、逆に話すことが非常に容易すぎて中身のない会話になってきている気がします。携帯のない時代、家に電話機が一台しかない時代は恋人に電話をかけるには、こっそり家を抜け出し公衆電話にかけに行ったものです。冬寒い中小銭を握りしめて電話ボックスに走って行き、やっと話せる緊張感と喜び。私の上司は昔単身赴任先から毎日100円玉分だけ公衆電話から家族に電話をしていましたが、その100円玉分の時間は家族にとってどんなに凝縮されたふれあいの場だったか想像できます。こんな思いは携帯がある今はもうできません。便利さと同時に失うものがあることも忘れてはいけません。

 携帯電話に期待することは、これからの高齢化社会に向けて、お年よりのための携帯電話の各種サービスの開発です。たとえば、お年よりが急に具合が悪くなったとします。あるボタンを押すと場所を探知して救急車が来る。救急隊員が身内などの連絡先を調べられる。あるいはセキュリティ会社と契約をしておいていつでも助けを呼べる機能がついていれば、特にひとり暮らしのお年よりにとってはどんなに頼もしい家族になるかわかりません。  

2000.11.23

河口容子