昨年の11月にハノイでセミナーの講師をご一緒した工業デザイナーの H先生の海外でのビジネスをお手伝いすることになりました。まずは先生のデザイン・オフィスの英文ホームページの見直しから、などとメールでやり取りをしているところに、ベトナムの農業・農業地域開発省の展示会館のマネージャーから東京へ行くので会いたいという連絡をいただきました。この農業展示館というのはハノイにあり、昨年のセミナー会場で当日この Sマネージャーが私たちの世話をしてくれました。まるでH先生と私のコラボを感知したかのような話です。
このエッセイでもベトナムのことを取り上げる機会が増えていますが、経済界では空前のベトナム・ブームと言っても良いのではないでしょうか。 2月初旬にもハタイ省への投資セミナーが開催されましたが、 200名以上の日本のビジネスマンがおしかけました。ハタイ省は2年前のセミナーで行きましたが、ハノイ特別市の南西に位置します。手工芸品の盛んなところでもあり、国家管理のホアラック・ハイテク工業団地のあるところです。
今回やって来たのは南部ドンタップ省の農産物・食品加工業を中心としたミッションです。ドンタップ省というのは南部のカントー特別市の北西にあります。このミッションになぜかホーチミン特別市の手工芸業者が1社混じっていました。2007年 1月19日号「季節はずれの誕生日プレゼント」で触れたようにたしかに手工芸品はベトナムでは農業分野に入りますが、日本の輸入者側としては違う業界になりますので商談をアレンジするにも別メニューとなり、どうやら私たちが助っ人部隊として起用されたようです。
銀座の国際機関で開かれたミッション全員での商談会では、農産物・食品加工関係の日本の輸入業者の方々もベトナム・ファンが多く、手工芸品に興味を示してくださり、うれしく思いました。通訳として参加されたベトナム人の男性は在日20年、奥さんも日本人で日本国籍も取得されています。また、臨時の通訳として同席した若いベトナム女性はベトナム大使館の S商務官の奥さんの弟さんの奥さんという按配で、日本とベトナムはまさに個々人の暖かい気持ちで支えられているという気がしました。
翌日はデザイン・オフィスを見たいというこの手工芸業者をホテルに迎えに行き H先生のオフィスにお連れしました。英語が苦手という手工芸業者の社長に上述の農業展示館の若い男性職員が英語を話せるというのでついてきてくれました。二人とも日本へ来るのは初めてだそうでちょっぴり緊張した様子です。ベトナムは社会主義国ですから彼らが迷子にでもなったら「亡命騒動」になると私もいつになく緊張しました。
H先生のオフィス商談後、近所のイタリアン・レストランで昼食。おいしいと言いつつも奇妙なくらいに少食でした。食後の濃い目のコーヒーにベトナム・コーヒーを思い出したのか少しリラックスした表情がうかがえました。聞けば来日以来、毎日ミーティングばかりだと言います。ものを作ったり、売る人にとっては市場と実際の商品を見ることが一番大切です。どこで、どのようなものが、いくらでどのように売られているのか、どんな人がどのようにして買って行くのか、時間さえあれば、私は日本でも海外でもそれをじっと見ています。
少し時間があったので、「銀座、銀座」と小躍りする彼らを有楽町のデパートへ。おしゃれな雑貨を集めたギフトのセレクトショップです。フィリピンとタイの製品は洗練された美しさとどこか夫々の空気を漂わせながらすでに並んでいました。ベトナムの商品が加わるのもそう遠い日ではないはずです。
タクシーをひろい、農水省の正面玄関に送って行くとミッションの残りのメンバーがちょうど到着したところでした。そろって表敬訪問に行くようです。私は彼らに挨拶をし、地下鉄の駅に向かって歩き出しました。彼らはずっと玄関の前で見えなくなるまで手を振っていました。小寒い日でしたが、手工芸業者の社長はブルゾン姿、農業展示場の職員は革ジャンにジーンズという軽装で、さて農水省の方にはどのように映るやらと私には少し気がかりでした。
河口容子
[227]シンガポールで報じられた日本の年金離婚
「あなたが興味を持つと思って」とシンガポールのクライアントが現地で報道された記事をわざわざ送ってくれました。見れば、日本の年金離婚の特集記事でした。彼が1月に来日した際、道端のホームレスを見て「彼らには家族がいないの?」とたずねられ、「いますよ。たとえば、職を失うでしょ。そのうち家庭でもトラブルが起こるでしょう?日本では奥さんがサイフのひもを握ってるくらい強いから追い出されちゃうんです。」と冗談まじりに答えると彼は道路で飛び上がらんばかりに笑っていました。この記事を見て彼は「やっぱり、そうか」と思ったのかも知れません。
記事は「今年から大量のベビーブーマーたちが退職する。彼らのうちには家に戻ると離婚届が待っている人もいるかも知れない。」という文章から始まり、4月1日から離婚した妻にも夫の年金の半分が支給されるように法改正され、より多くの年配の妻たちが夫と別れて新生活をスタートさせるきっかけとなるだろうと書いてあります。
面白いくだりをピック・アップすると、この年代は25歳を越した未婚女性は「売れ残りのクリスマスケーキ」と呼ばれ、男性も結婚していないと一人前と見做されていなかった時代の人たちで、日本の家庭では過去は夫が一家を支配していたが、19世紀の末から、夫は外でお金を稼ぎ、子育てを含め家庭のことは一切妻に委ねられるようになった。妻の役割は子どもたちの母親であるだけでなく、夫の母親でもあるかのように夫は完全に妻に依存している、などなど。おまけに、どうせ女性のほうがはるかに長生きするのだから離婚なんかしなくても夫の遺産をもらえばいいではないか、とも書いてありました。
はたして、この記事はシンガポールの人たちにどのように映ったことやら。世間体に流されての結婚を可哀想と見るのか、夫の年金を半分もらって「はい、さようなら」する妻を打算的と見るのか、いずれにしてもあまり良い印象をもたれないような気がしてなりません。
確かに私の時代も「クリスマスケーキ」表現は生きていて、4大卒の女性の就職口はあまりありませんでした。腰掛としか思われないからです。同級生の中には「同じように大学を出て就職しても女性は良い仕事をさせてもらえず、つまらないから結婚した」と堂々と言う人間が何人もいます。私自身は「出すぎた杭は打たれない」と「規格外」を押し通すうちにとんでもない高給取りのサラリーマンになっていました。おかげで男性を見るときは「職業」「肩書き」「年収」など一切期待せず、「学歴」も「年齢」も「国籍」も気にしないので、それでは何に価値を見出したら良いのか、かえって非常に難しい問題となりました。同年代の女性たちが「年金離婚」をたくらむ頃、仕事が忙しくて徹夜もしなければならない私は幸福なのか不幸なのかよくわかりません。
河口容子