[230]初めて日本に来たベトナム人

 昨年の11月にハノイでセミナーの講師をご一緒した工業デザイナーの H先生の海外でのビジネスをお手伝いすることになりました。まずは先生のデザイン・オフィスの英文ホームページの見直しから、などとメールでやり取りをしているところに、ベトナムの農業・農業地域開発省の展示会館のマネージャーから東京へ行くので会いたいという連絡をいただきました。この農業展示館というのはハノイにあり、昨年のセミナー会場で当日この Sマネージャーが私たちの世話をしてくれました。まるでH先生と私のコラボを感知したかのような話です。
 このエッセイでもベトナムのことを取り上げる機会が増えていますが、経済界では空前のベトナム・ブームと言っても良いのではないでしょうか。 2月初旬にもハタイ省への投資セミナーが開催されましたが、 200名以上の日本のビジネスマンがおしかけました。ハタイ省は2年前のセミナーで行きましたが、ハノイ特別市の南西に位置します。手工芸品の盛んなところでもあり、国家管理のホアラック・ハイテク工業団地のあるところです。
 今回やって来たのは南部ドンタップ省の農産物・食品加工業を中心としたミッションです。ドンタップ省というのは南部のカントー特別市の北西にあります。このミッションになぜかホーチミン特別市の手工芸業者が1社混じっていました。2007年 1月19日号「季節はずれの誕生日プレゼント」で触れたようにたしかに手工芸品はベトナムでは農業分野に入りますが、日本の輸入者側としては違う業界になりますので商談をアレンジするにも別メニューとなり、どうやら私たちが助っ人部隊として起用されたようです。
 銀座の国際機関で開かれたミッション全員での商談会では、農産物・食品加工関係の日本の輸入業者の方々もベトナム・ファンが多く、手工芸品に興味を示してくださり、うれしく思いました。通訳として参加されたベトナム人の男性は在日20年、奥さんも日本人で日本国籍も取得されています。また、臨時の通訳として同席した若いベトナム女性はベトナム大使館の S商務官の奥さんの弟さんの奥さんという按配で、日本とベトナムはまさに個々人の暖かい気持ちで支えられているという気がしました。
 翌日はデザイン・オフィスを見たいというこの手工芸業者をホテルに迎えに行き H先生のオフィスにお連れしました。英語が苦手という手工芸業者の社長に上述の農業展示館の若い男性職員が英語を話せるというのでついてきてくれました。二人とも日本へ来るのは初めてだそうでちょっぴり緊張した様子です。ベトナムは社会主義国ですから彼らが迷子にでもなったら「亡命騒動」になると私もいつになく緊張しました。
  H先生のオフィス商談後、近所のイタリアン・レストランで昼食。おいしいと言いつつも奇妙なくらいに少食でした。食後の濃い目のコーヒーにベトナム・コーヒーを思い出したのか少しリラックスした表情がうかがえました。聞けば来日以来、毎日ミーティングばかりだと言います。ものを作ったり、売る人にとっては市場と実際の商品を見ることが一番大切です。どこで、どのようなものが、いくらでどのように売られているのか、どんな人がどのようにして買って行くのか、時間さえあれば、私は日本でも海外でもそれをじっと見ています。
 少し時間があったので、「銀座、銀座」と小躍りする彼らを有楽町のデパートへ。おしゃれな雑貨を集めたギフトのセレクトショップです。フィリピンとタイの製品は洗練された美しさとどこか夫々の空気を漂わせながらすでに並んでいました。ベトナムの商品が加わるのもそう遠い日ではないはずです。
 タクシーをひろい、農水省の正面玄関に送って行くとミッションの残りのメンバーがちょうど到着したところでした。そろって表敬訪問に行くようです。私は彼らに挨拶をし、地下鉄の駅に向かって歩き出しました。彼らはずっと玄関の前で見えなくなるまで手を振っていました。小寒い日でしたが、手工芸業者の社長はブルゾン姿、農業展示場の職員は革ジャンにジーンズという軽装で、さて農水省の方にはどのように映るやらと私には少し気がかりでした。
河口容子