最近メコン川周辺国、とりわけベトナムへの投資が熱気に満ちています。私自身もクライアントがベトナムで OEM生産を始めようとしていることもあり、まず 2月に「ベトナム」と「メコン川周辺国」への投資を主としたセミナーを聴講、 4月には実際にハノイに出張、 5月にはベトナムハイフォン市への投資セミナー、そして7 月に入り、東京都中小企業新興公社が主催で「メコン川周辺の投資事情」セミナーを聴講しました。今月末のべトナムへの投資セミナーは何と抽選の結果待ちという盛況ぶりです。
メコン川周辺国の中でもすでにタイは中進国で、一人あたりGDPが2,722米ドルあります。自動車、家電、部品産業もさかんで日本からの投資は1980年以降からどんどん進み、バンコック日本人商工会議所の加盟企業は 1,200社にものぼり、日系企業どうしでの競合さえ出ています。
ベトナムについてはまさに高度成長直前という感じです。ベトナム戦争が終わり30年を経過していますが、外資の導入の大きなターニング・ポイントになったのは1995年の ASEAN加盟と米国との国交正常化です。日本の中小企業の投資は2000年ごろからと日はまだ浅いものの 500社がすでに投資を行なっているそうです。
カンボジアは縫製業が柱で台湾、中国、香港からの投資が多く、カンボジアの欧米向けの輸出割当や低関税を目的としているようです。ラオスはタイからの投資が多く、タイで操業している日本企業が拡大するには文化的に似ていてやりやすいと聞いたことがあります。ミャンマーについてはご承知の通り軍事政権で民主化が大きな課題ですが、天然ガスをはじめ鉱物資源が豊富です。
どこに、どのような形で進出するかは業種や企業の形態にもよりますが、労働コストの安さだけ追い求めると、工業製品に関しては材料が現地調達できない、インフラの整備が遅れている、非熟練工が多いなどのマイナス要因も出てきます。また現地で生産した製品を日本市場に持って来る場合は輸送コストや輸送に費やす時間も考慮しないといけません。
現在この地域では、地域内の物流を効率化するためにも道路の整備が進められ日本の ODAも貢献しています。東西経済回廊と呼ばれるものはベトナムのダナンからラオスのサワナート、タイのムクダハーンを通りミャンマーのモーラミャインまで、南北経済回廊は雲南省の昆明からタイのチェンライを通りバンコックまで、南部経済回廊はベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンを通り、タイのバンコックまで。残念ながら、これらはまだまだ十分に機能していないのが現状です。
日本人が見落としがちなのは、ほとんどの途上国の経済発展は外資に依存しているという点です。日本の戦後の発展は ODAの受け入れもし、輸出も伸ばしましたが外国企業に投資をしてもらう、あるいは雇用してもらうということはほとんどありませんでした。途上国から外資が引き上げざるを得ない事態がおきたら、投資している企業も投資してもらっている国も元のもくあみになってしまいます。そういう意味では日本とその国の 2国間の関係だけでなく、広くその国にかかわる国々との関係もウォッチしていなければならなくなります。リスクマネジメント上も2006年3月9日号のタイトル「バイラテラルからリージョナル」の時代に突入しているといえます。
河口容子
[189]ジョグジャの思い出
インドネシアのジャワ中部にあるムラピ火山に噴火の兆しがあり、住民が非難というニュースを聞いたのは 5月の13日頃だったと思います。世界遺産ボロブドゥールが近いだけに大丈夫だろうかと心配しました。(ボロブドゥールについては2003年 7月 4日号「インドネシアの歴史にふれる」をご参照ください。)そして27日には中部ジャワの古都ジョグジャカルタの沖合でM6.3の地震が発生、何千人もの犠牲者、被害者が出ました。
ジョグジャカルタ(ジョグジャと呼ぶことも多いです)は、「平和の町」という意味でインドの古典、サンスクリット語で書かれた「ラマーヤナ」のラーマ王子の国、アヨーダィヤーにあやかってつけられたともいいます。インドネシアの地名や会社名はサンスリット語名を持つことが多く、会社訪問時に「社名の意味は何ですか?」と聞くと「サンスクリット語だからよくわからない。」と社長に答えられ苦笑してしまうことが時々あります。ガルーダ航空のガルーダもインド神話の神鳥「ガルダ」から来ており、インドネシア共和国の国章にもこのガルダが使われています。
さて、被害状況ですが、インドネシアの日本語新聞によるとジョグジャカルタのアディスチプト空港のターミナルビルが倒壊、空港近くの世界遺産プランパナン寺院(ヒンドゥーの遺跡群)の一部が崩壊、ボロブドゥールは無事、市内の銀座通りにあたるマリオボロ通りは屋根が崩れたり、窓ガラスが割れたりしているとのことです。2003年に私が泊まったホテルはマリオボロ通りにありましたが、窓から見る景色は東南アジア一の大都会ジャカルタのそれとは大きく違い、昔にかえったかのような安らぎに満ちたものでした。この街には馬車が走っています。最初観光用と思っていたのですが、地元のお年寄りたちが乗っているのを何度も見かけました。車が十分普及している都市で馬車が一般の交通手段として共存するという不思議な光景でした。
ジョグジャは上述の二大世界遺産のお膝元であり、今でもサルタンの住む王宮があり、またインドネシア最大の国立ガジェマダ大学のある街でもあります。私が訪れたときは、ジャカルタから同行してくれた政府機関の女性の管理職のお嬢さんがガジェマダ大学に在学中でした。お世話になったお礼にと母娘一緒にディナーに招待したところ、お嬢さんがいきなり女友達を二人連れて現れ、政府機関の女性はひたすら恐縮するのみで、エリート国家公務員から普通の母親の顔に戻ったのが今でも印象に残っています。
日本の報道によれば、今回の地震は一昨年のスマトラ島沖地震(M9.0)、昨年のパキスタン大地震(M7.6)と同じく、インド・オーストラリア・プレートが他のプレートに沈み込む位置で、この地域は活動期に入っているのだそうです。また、火山災害でも過去 300年間で世界中の犠牲者の60%以上がインドネシアです。資源大国でもあり、自然災害大国ともいえるインドネシアですが、早く復旧してあの自然と溶け合い、五体にしみこんでくるような王宮ガムランの調べが似合う街に戻ってほしいものです。犠牲になられた方々のご冥福と被害に遭われた方々が一刻も早く日常生活を取り戻せるよう祈ります。
河口容子