アセアン諸国の食品展、今回はフルーツとスイーツに焦点を絞ったものへ行って来ました。私自身は食品の専門家ではないのですが、アセアンの方々の明るい笑顔が懐かしく、また日本では手に入りにくい食べ物を試食できるとあって、時間があれば必ず顔を出しています。
中でも感動と笑いの渦に包まれたのは、カンボジアのドライフルーツとジャムの企業です。オーストラリアの中年女性が地雷事故の被害者のために興した会社で、スタッフに英語から生産、マーケティングまで教えています。またスタッフの独身女性や子どもに住居も提供しています。知的でやさしさにあふれたオーストラリア女性と始終笑顔を絶やさない工場長の若いカンボジア男性はまるで親子のような信頼関係に満ちていました。心のこもったハンドメイドのジャムやドライフルーツの数々は「赤毛のアン」の世界をほうふつとさせます。
工場長いわく「カンボジアのしょうがは苦いです。日本のしょうがはピンク色で甘いのでびっくりしました。」どうやら紅しょうがを天然のものと勘違いしているらしく、あれは甘酢に漬けたピクルスのようなもの、と説明すると「ああ、それで初めて納得しました。」とちょっぴり残念そう。「加工したものと聞いてショックだったでしょう?」と私。「寿司屋に行けばあるわ。」と日本に 5年住んでいたオーストラリア女性。「日本のしょうがを漬けたらピンク色になったけど、カンボジアのしょうがはピンクにならなかったわ。」この企業のしょうが入りのジャムは日本人には珍しく、とてもさっぱりして美味でした。アセアン諸国ではしょうがを炒め物などにもよく入れますが、消化促進のためだそうで、カンボジアでは他の食べ物に比べると高いのだそうです。この企業ではしょうがを自家栽培しているそうです。
不思議な出会いもありました。フィリピンのレガスピからピリナッツの企業が来ていて「私行ったことがあるんですよ。」と言うと「本当?いつですか?」と社長ご夫婦が身を乗り出しました。2007年 2月 8日号「続 マヨンの麓からの手紙~希望~」に出て来る Pさんの事を話すと「知ってるよ、僕の実家から5分の所だから。」とご主人。2002年にレガスピで Pさんに大変お世話になりましたが、今なおご縁が続いているような気がしました。
圧巻はマレーシアとブルネイのレイヤーケーキ対決です。レイヤーケーキとは日本のバウムクーヘンのように切り口が断層のような縞に見えるものです。マレーシアのほうは女性の社長で小柄ながら体重80キロはあろうかと思う女性。パイナップル、苺などフレーバーごとに縞縞の色も変えてあり、着色料は使っていないそうですが南国らしいカラフルなものです。どんどん試食を勧める彼女に「全部食べたら太っちゃうわ。」と言うと「そうなの、聞いて。私スポーツウーマンでホッケーの選手だったの。この仕事を始めてからこんな体型になっちゃったわ。一緒に写真撮りましょう。」アセアンは女性が社長の企業が多いのですが、さすが男性客と一緒に写真を撮ろうとは言えず、いつも私は引っ張りだこになってしまいます。彼女たちは実に写真好きです。
ブルネイのレイヤーケーキは人工着色料を使っていますが、レイヤーの中に花型だの渦巻きだのと色とりどりのデザインを施しています。王侯貴族、贅を尽くした王宮やモスクのイメージとぴったりの、アートのようなケーキでした。
アセアンの香り、パンダンリーフの蒸しケーキもマレーシア企業にありました。パンダンとはタコノキで、葉はハーブとして整腸作用、解毒作用があると言われています。日本なら抹茶ケーキと思うような色です。アセアンでスチームド・ライス(蒸したごはん)を頼むとパンダンリーフで香りをつけたものが出て来る事がよくあり、私にはとても身近な香りです。
河口容子
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フィリピンの小さな島マリンドゥクエに石けんを作ることを教えた日本人女性、堆肥作りを教えている日本人男性の話を取り上げて来ましたが、今回はこの無名に近い島に日本人の血を引く子どもたちがたくさんいることを上述の日本人男性 Kさんのメールからご紹介します。
「この島には日本軍が上陸しなかったので、対日感情はすごくいいです。みんな日焼けをして、おっかない顔をしている人でも、とてもいい人たちばかりです。財布が盗まれるなどの心配は無用の島です。
また、フィリピンの女性が「ジャパ行きさん」として日本に来て働かざるを得ない現実も分かりました。私が宿泊した民宿の地域にも、日本人男性との間にできた子供が10人以上おり、だれもが父親の顔が分からず苦労しているとのことでした。
公務員の給料が12,000ペソの世界に日本円で25,000円も仕送りできれば、一家が十二分に生活できるからです。 ジャパ行きさんは貧困の犠牲者なのです。帰りの飛行機(ジャンボで満席でした)には、日本人の比較的高齢者とフィリピン女性(30代くらいかな)と、その子供という組み合わせが何組も搭乗していました。彼女たちは日本人男性に捨てられることなく生活できているしあわせな人だと思いました。
話題を変えまして。マリンドゥケ島はなにもないので、これと言った観光資源も開発されていません。自然がそのまま残っている島です。水はきれい。人はいい。娯楽施設はない。のんびり暮らすには、うってつけでしょう。日本円にして1日 2,000円もあれば、なに不自由ない生活が送れますから。珊瑚礁だけでできている浜辺は圧巻です。(廣くはありませんが)
私の知り合いは個人資産の多くを投げ出し、現地の人の雇用と日本人が長期滞在できる施設を当島に建設中です。できあがるまで、あと1年以上はかかると思いますが。」
たくさんの情報を下さった Kさんにあらためてお礼を申し上げるとともに感じたことがいくつかあります。ひとつは、貨幣主義の洗礼をたっぷり受け、自分のことしか考えなくなっていると思われがちな日本人にも自分のできる範囲で貧しい人々を何とかサポートしようとする方々がまだまだいらっしゃる事です。営利主義や売名行為、あるいは単なるヒロイズムの正反対に位置する立場に美しい自然な交流が育まれているような気がします。このような方々こそ、もっと讃えられるべきではないのかとも思います。
また、フィリピン人は損をしていると思います。東南アジアきってのラテン気質が誤解され、ビジネス界では「いい加減」と敬遠されがちです。反面非常にあっさりしていて、ホスピタリティにあふれている人が多いのも事実です。2002年に国際機関のお仕事でルソン島の最南端を訪問しましたが、戦後の映画のセットのような街や多くの方々から受けたご親切を思い出しながらマニラへ向かう帰りの飛行機では涙が止まりませんでした。
私の住んでいる地域でも時々フィリピン人の奥さんたちを見かけます。日本人との間にできた子どもに一生懸命片言の日本語でしつけをしています。言語も文化もまったく異なる国にやって来て子どもを産み、育てる女性の勇気と子どもへの愛を痛感する一瞬です。一方、母国に夫と子どもを残し、看護師やメイドとして海外で働くフィリピン女性も非常に多く、こちらは一家の大黒柱です。フィリピン女性はアジア一の「肝っ玉母さん」かも知れません。
河口容子