読者の皆さんは BIMP-EAGAをご存知でしょうか。ビムピアーガ、最初の 4文字はブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンの国名の頭文字を取っており、後の 4文字はEast ASEAN Growth Area、つまり東アセアン成長地域という意味です。先日、東京でBIMP-EAGAへの投資セミナーが開催されました。
アセアン諸国は、政治体制、言語、民族、宗教、人口、面積と実に多様で、経済発展にもかなりばらつきがあります。今脚光を浴びているのは「大メコン経済圏」というベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーというインドシナ 4ケ国にタイと中国をあわせたメコン川流域の開発です。
一方、 BIMP?EAGAはブルネイ(ボルネオ島にあります)、インドネシアのカリマンタン、マルク等、マレーシアのサバ、サラワク等、フィリピンのミンダナオ、パラワン等の島嶼地域で合計人口は約5,750万人、合計面積は約160万平方キロ(日本の4倍以上)です。1992年にフィリピンのラモス大統領により4ケ国により共同開発構想が提案されましたが、1990年代後半の経済危機により停滞し、2003年10月の首脳会議で運輸、観光、産業の 3分野を優先分野として再活性化することで合意されました。豊かな森林資源(域内の 60%が森林)、鉱物資源(石油、天然ガス)、漁業資源という自然の恵み豊かな地域で、農業が基礎産業(米、ココナッツ、パームオイル、ゴム等)です。大メコン経済圏を大陸のアセアンとするならば、 BIMP-EAGAは島のアセアンで、個人的には南の島への憧れからどうしても後者のほうに魅かれてしまいます。
通常、国別ないしは一国の行政区分ごとに投資セミナーは行われますが、このセミナーは 4ケ国の政府担当者が講師として集まりました。アセアン諸国はその多様性ゆえに、EUのようにまとまらないと言われて来ましたが、BIMP-EAGA についてはテーマごとにリーダー国が決められており、運輸とインフラの開発はブルネイ、天然資源開発はインドネシア、観光開発はマレーシア、中小企業の育成はフィリピンとそれぞれの国の特徴を生かしたリーダーシップの下、多国籍チームで活動を行なっています。
セミナーでは BIMP-EAGAに投資をした日本企業の経営者による講演もありました。多国籍展開をしている電子部品メーカーはマレーシアのクチン(サラワク州)に工場を作り、マレーシア人2,200人を雇用し、24時間操業を行なっています。女子サッカーチームがクチンで強いのがご自慢のようです。熱帯雨林と電子部品、ちょっと想像を超える組み合わせではありませんか?もう 1社、こちらは鹿児島県のさつま揚げと冷凍食品の会社ですが、安全な食を求めてミンダナオ島ダバオに会社を設立しました。この企業は地元との連帯と発展を願い、10年間で東京ドーム2000個分の植林を行なう計画です。
日本国内ではあらゆる点でリスクを避けたがる傾向が目立ち、いかに楽をしてお金を稼ぐか、また拝金主義に満ち満ちています。それに比べ、まだ開発途上の地域で、工場を立ち上げるのは並大抵なことではありません。その勇気と努力に私は心から拍手を送ります。そして、熱帯雨林に癒される彼らを羨ましくもあります。
河口容子
[157]ベトナム特集3 バッチャン焼のふるさとへ
当初、私たちの講演はハテイ県の業者対象のみでなく、他のふたつの省でも行なう予定でした。ところが、同時期にヨーロッパからも講師団が入ってくるということでスケジュールが急遽短縮されました。ベトナムの政府機関としては各地方ごとにその産業構造にあわせて経済成長のための教育を行なうという実にきめ細かい構想を持っているようです。
さて、セミナーの翌日はハノイ郊外のバッチャン焼のふるさとへの視察です。バッチャン焼は 600年の歴史を持ち、日本では安南焼として桃山・江戸時代から親しまれています。名前を知らなくてもホアハムと呼ばれる青い花の染付けや紅安南と呼ばれる赤・黄・緑をあしらった陶器をご覧になったことがあるのではないでしょうか。その他セラドン(青磁)、白磁、黒磁もあります。
この日は台風の余波で大粒の雨が降っていました。バイクや自転車の多い所だけあって皆フードのついたポンチョスタイルの合羽を着ています。歩行者もなぜか合羽で傘をさす人の姿はほとんどありませんでした。バッチャンの里はほとんどの住民が陶磁器の仕事に携わっています。日本でいうファクトリー・アウトレット・モールをはじめお店がたくさんあります。驚くべきは日本語の看板が山のように出ていること。しかも海外の観光地にありがちな奇妙な日本語ではなく、どれも正しい日本語で表記されていることです。アジア雑貨ブームでいかに多くの観光客やバイヤーがやって来るかがうかがわれます。
大きなお店では絵付けを楽しむことができます。カメラを向けた先には日本人の若い女性観光客の姿がありました。日本の各地で伝統工芸を用いて地域開発の指導をされている同行の Y先生の目にとまったのは、二重の急須、外側にお湯を入れて暖めるのに使い、内側の急須にお茶を入れるアンティーク風のものでした。これはアンティークを模して作ったもの、いわゆるリプロダクションと呼ばれるものですが、 200ドルは高いと私が言ったところ、「怪しげな骨董屋が本物だと言って高く売るのに買うんじゃないでしょうかね。よくできてますよ。」と先生。高いお買い物にはまず目利きであることが必要です。
ここでのお茶セットのしまい方はまず大きなお皿の上にお茶碗を上に向けて並べます。その上に小さなお皿をのせ急須をのせます。どこの家庭でも一般的なしまい方のようです。前日のワークショップで日本の茶びつとそっくりな形状のバスケットを持参された業者がいましたが、何に使うか聞いたところ玩具など小物を収納するということでした。日本人はこの形はお茶セットを入れるのに使い、蓋はひっくり返してお盆にすると説明したところ、「なるほど」と手を打って感心してくれた人がたくさんいました。こんなところにも文化の違いが現れます。
午後はハノイの商社を訪問し、面談。前日のセミナーでも依頼があったのですが、優れた日本のデザインを売ってほしいというものです。これは Y先生のご本業となりますが、デザインを買ってもそれを十分に生かす技術がなければ良い製品にはならないというのが先生の持論。私としてはデザイン料がいくらか知っていてたずねているのか疑問、中長期的にはベトナム人へのデザイン教育が重要なのではないかという話になりました。
その日はハノイー成田直行便がなく、夜にホーチミンシティに向けて約1200キロ一気に南下しなければなりませんでした。空港へ向かうタクシーの急ブレーキで、体調が悪く車内でうとうと眠っていた私もすっかり目がさめました。タクシーの前を走っていた自転車の男性が雨でスリップして転んだのです。黒い自転車に黒い合羽姿の男性が立ち上がる姿を確認したので安心しましたが、タクシーの運転手さんが上手によけてくれなければ今度は私たちの車が違う車線に飛び出しそこで事故に遭っていたかも知れません。
ホーチミンシティー成田便には若いベトナム人の男女をたくさん見かけました。彼らが落とした紙袋から分厚い書物がごろごろ転がり出てきたのでおそらく留学生なのでしょう。2004年の統計では日本の在留外国人の 74.2%がアジア人で 146万人です。そのうちだんとつに多い中国人、韓国人は別格として、ベトナム人は 2万 6千人です。留学生も2000年あたりからどんどん増えています。また、ベトナムへの投資額を累積で見ると日本が一番多いのは以前触れましたが、二番が台湾、次いで韓国、シンガポール、香港となり、この 5ケ国で全体の 6割近くを占め、アジアの先進国が好んで投資していることがわかります。ベトナムは元気な「アジアの時代」を感じさせてくれる国です。
河口容子
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