[103]アセアン横丁の人々

 今年も早いもので秋のインターナショナル・ギフト・ショーの季節がやって来ました。この日本最大の見本市については、 3号50号51号と毎年書かせていただきました。私にとっては、やはりアセアン諸国の出展者たち、勝手に名づけて「アセアン横丁の人々」が気がかりです。
 会場に着くと、いきなり昨年知り合ったマレーシア企業の女性とばったり、手を取りあって再会を喜びました。華人の彼女はいつも東京のOL風の装いでよく日本人と間違われます。「いらっしゃいませ。」などと深々とお辞儀をして、関係者まで騙して喜ぶお茶目な女性ですが、マレー語、英語、北京語、広東語、福建語、タイ語を操り、スペイン語も勉強中の才媛です。
 シンガポールのブースでも昨年見たことのある青年が。ところが、この青年はほとんど英語ができず、せっかくディスプレイのレイアウトをアドバイスしてあげようと思ったのに、こちらが言う英語を横で通訳の女性がスペルアウトして、本人は電子辞書で確認をしている始末。通訳の女性いわく「タイの人らしいんです。」仕方ない、と先ほどのマレーシア女性を通訳に連れてきました。
二人とも昨年の出展者どうしで知り合いのためこれまた再会を喜んでいました。ディスプレイを皆で修正したあと、彼女は「私たちにちゃんとサンキュー、って言うのよ。」とお姉さんぶってトレードマークの 100万ドルの笑顔です。
 ちょっと手品のようなティー・サーバーを実演してくれた別のシンガポール・ブースの男性はこの顛末に怪訝な顔です。マレーシア女性のことをタイ語の話せる日本人と思いこんだようです。こちらのシンガポール人は華人だったので「彼女はマレーシア人です。日本人ではありません。あなたがお話になるときは中国語でもOKですよ。」と笑わせました。
 ブルネイのブースでは、政府機関の女性職員が皇太子の結婚式にちなんだ取材の申し込みがテレビ局からあったということで、原稿を書くのに大慌て。すると小柄なまだ若い女性が恥ずかしそうに名刺を出しました。「私はあなたを覚えています。去年、自宅に母を訪ねて来られましたよね。そのときお見かけしました。」社名と商品を見て「お嬢さんだったの?ご両親はお元気でいらっしゃいますか。」「はい、母はもう 2回日本へ来ていますので、今回は私にチャンスをくれました。」彼女の自宅は金糸や銀糸を使った織物工房です。石油と天然ガスの小国ブルネイには企業がそんなにありません。どの企業を訪問するにもホテルから車で15分以内と聞かされていましたが、彼女のところは首都バンダル・スリブガワンの中心から車で 1時間以上離れていました。ブルネイの家は涼しくするためか陶器タイルを張った床が多く、日本のように玄関で靴を脱いで中へ入ります。企業訪問をすると、たいてい最後は記念写真というパターンになっていて、壁には訪問者の写真がずらりと掲げられています。私の写真も彼女の家に飾ってあり、だから顔をよけい覚えているのだろう、と想像すると少し恥ずかしくなりました。

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[095]ジャカルタ大中継

 北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんが遠くジャカルタの地で無事家族との再会をはたしました。このシーンを見た世界中の人たちがもらい泣きをしたことと思います。特に日本人は1年9ケ月ぶりにやっと会えて良かったというだけでなく、曽我さんの運命に翻弄された半生と平和ぼけどころではなく冷戦の遺物に未だにもがいている日本人たち(それも曽我さんのみではない)がいることの現実をつきつけられた複雑な思いの涙であった気がします。
 ジャカルタに住む華人の友人は「再会をTVで見たし、新聞も全部1面記事で扱っているよ。幸せそうで本当にうれしかった。」とわが事のように喜んでさっそくメールをくれました。ジャワ人は家族を大切にしますし、礼儀正しく、時にはまどろっこしいほどの平和主義です。また日本からは大企業の進出が多く在留邦人も組織だった活動をしています。私自身も何社が訪問したことがありますが韓国系企業も多く、食材はもとよりインドネシア料理のレストランでもハングルのメニューを見たこともありました。一家を受け入れるには最適な場所といえます。こんなに現地の外国人によく読まれている英字紙ジャカルタ・ポスト紙をインターネットで連日読みましたが、史上最大規模の大統領直接選挙のさなかあれだけの紙面をさいて報道するところはインドネシアの外交力のPRと親日的な国家であることがうかがい知れます。
 おそらく、曽我さんというかジェンキンスさん一家にとってはそれぞれの故郷、そして長らく一緒に暮らした北朝鮮とはまったく違った景色の中で再出発を話しあうとは想像だにしなかったでしょうし、また家族 4人にとって忘れられない場所になったに違いありません。一方、いくら人道上の理由とはいえ、この複雑な家族を受け入れたインドネシアの懐の深さにも感動しました。国家として絶好のPRのチャンスでもありますが、下手をすれば米国、北朝鮮から圧力のかかる懸念もあるからです。日本としても今回ばかりは日米同盟に頼れないだけに日本との 2国間 ODA拠出だんとつトップの ASEANの盟主インドネシアという外交カードをきったとも言えます。もともとインドネシアは親日的ですし、世界一の資源大国でもあります。外圧で吹けば飛ぶような国ではありません。
近年、ジャカルタにはほとんど毎年足を運んでおり、私にとっては世界中で最も好きな都市のひとつです。ところが、ほとんど日本のTVでは映し出されることがありません。曽我さんがひとりで成田から搭乗した JAL便は毎日あり、私もふだんこれに乗っております。航路は南大東島からフィリピンのルソン島南部、そしてブルネイ上空から赤道を超え、ジャワ島にあるジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港に到着です。文字通り、海でつながるアジアを南下していく旅路です。空港の上空から南洋独特のあふれるような緑と血か炎を思わせる赤土を目にするたびに私は疲れをも吹き飛ばす自然のパワーをもらいます。

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