[095]ジャカルタ大中継

 北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんが遠くジャカルタの地で無事家族との再会をはたしました。このシーンを見た世界中の人たちがもらい泣きをしたことと思います。特に日本人は1年9ケ月ぶりにやっと会えて良かったというだけでなく、曽我さんの運命に翻弄された半生と平和ぼけどころではなく冷戦の遺物に未だにもがいている日本人たち(それも曽我さんのみではない)がいることの現実をつきつけられた複雑な思いの涙であった気がします。
 ジャカルタに住む華人の友人は「再会をTVで見たし、新聞も全部1面記事で扱っているよ。幸せそうで本当にうれしかった。」とわが事のように喜んでさっそくメールをくれました。ジャワ人は家族を大切にしますし、礼儀正しく、時にはまどろっこしいほどの平和主義です。また日本からは大企業の進出が多く在留邦人も組織だった活動をしています。私自身も何社が訪問したことがありますが韓国系企業も多く、食材はもとよりインドネシア料理のレストランでもハングルのメニューを見たこともありました。一家を受け入れるには最適な場所といえます。こんなに現地の外国人によく読まれている英字紙ジャカルタ・ポスト紙をインターネットで連日読みましたが、史上最大規模の大統領直接選挙のさなかあれだけの紙面をさいて報道するところはインドネシアの外交力のPRと親日的な国家であることがうかがい知れます。
 おそらく、曽我さんというかジェンキンスさん一家にとってはそれぞれの故郷、そして長らく一緒に暮らした北朝鮮とはまったく違った景色の中で再出発を話しあうとは想像だにしなかったでしょうし、また家族 4人にとって忘れられない場所になったに違いありません。一方、いくら人道上の理由とはいえ、この複雑な家族を受け入れたインドネシアの懐の深さにも感動しました。国家として絶好のPRのチャンスでもありますが、下手をすれば米国、北朝鮮から圧力のかかる懸念もあるからです。日本としても今回ばかりは日米同盟に頼れないだけに日本との 2国間 ODA拠出だんとつトップの ASEANの盟主インドネシアという外交カードをきったとも言えます。もともとインドネシアは親日的ですし、世界一の資源大国でもあります。外圧で吹けば飛ぶような国ではありません。
近年、ジャカルタにはほとんど毎年足を運んでおり、私にとっては世界中で最も好きな都市のひとつです。ところが、ほとんど日本のTVでは映し出されることがありません。曽我さんがひとりで成田から搭乗した JAL便は毎日あり、私もふだんこれに乗っております。航路は南大東島からフィリピンのルソン島南部、そしてブルネイ上空から赤道を超え、ジャワ島にあるジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港に到着です。文字通り、海でつながるアジアを南下していく旅路です。空港の上空から南洋独特のあふれるような緑と血か炎を思わせる赤土を目にするたびに私は疲れをも吹き飛ばす自然のパワーをもらいます。


 空港ビルは中継でもご覧のように赤茶の瓦屋根を使ったエスニックな雰囲気のもので中もちょっと照明を落とした感じになっています。空港から市内へは高速道路ですが、道路の広いこと、緑の多いことに特に初めて来られた方はロスの郊外のようだと驚かれます。
いにしえの東インド会社時代の名残を残す北ジャカルタ、政治・ビジネスの中心地は中央ジャカルタですが、銀座4丁目にあたるタムリン通りとスディルマン通りの出合うところは日本の戦時賠償で開発されたエリアです。ジャカルタには4つ星、5つ星ホテルが数え切れないほどありますが、ほとんどはこのふたつの通りに面しています。そして南へ南へとジャカルタは発展が進んでおり、日本人駐在員の多くが住む新しい高級住宅街やおしゃれなブティックは南ジャカルタにふえています。
ジャカルタの語源は16世紀にジャワ島にあったイスラム王国がポルトガルの追放に成功して街を「ジャヤカルタ」(偉大なる勝利)と名づけたところにあります。この地にあやかって曽我さん一家の家族愛が政治や思想を越えて大いなる勝利をおさめることを祈っています。しばらくジャカルタ中継を楽しめると思っていましたが、予想外の展開となりました。日朝関係から日米関係へと曽我さん一家はまたその運命を国家間の駆け引きに委ねなくてはなりません。
河口容子