[128]がんばれ!インドネシア

 先週、インドネシアへの投資セミナーが北九州、大阪、東京の順で開催されました。つい最近では、マラッカ海峡での海賊事件、そして昨年末には大津波で 45億ドルの損失を被ったスマトラ島のアチェ、とあまり良いニュースがありませんでしたが、昨年10月には初めて直接選挙によりユドヨノ政権が誕生し、汚職の撲滅や労働市場の安定化のための協議を行なっています。
 インドネシアは1994-5年あたりが日本からの投資がピークで、私自身もその少し前からインドネシアとの取引を開始しました。当時は、私の勤務していた総合商社でもジャカルタは関係会社への日本からの出向者、現地雇員をあわせると 100人体制で、駐在希望地ナンバーワンでした。ジャカルタは1000万人都市ですし、外国人も多いため買い物には不自由しません。何といっても物価が安く、商社の駐在員なら閑静な高級住宅街に家をかまえ、使用人を何人も雇え、週末は家族そろって五つ星ホテルで食事をしたところで、どんどん貯金はふえていく所だったからです。
 ところが、1997年にタイ・バーツを皮切りにアジア通貨危機にのみこまれ、1998年にはジャカルタで大暴動が起こりました。これをターニング・ポイントとして投資は中国へ中国へと向かうようになります。「日本から近い」「文化的になじみがある」「巨大市場」「人件費が安い」ということで飛びついたわけですが、まだまだ問題も多く、中国からの撤退を専門とするコンサルティング・サービスが成り立つほどです。


一方、インドネシアは着々と経済が回復、2004年の経済成長率は5%で、2005年目標は5.5%です。現地の日系企業もオートバイ、自動車、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、薬品などの国内販売が好調で、設備投資を増強していると聞きます。もともとインドネシアから見た海外投資額は投資法ができた 1967年以降の累積金額で日本がだんとつのトップです。この事実があまり認識されていないのも不思議ですが、比較的大手の会社が多いため中国ほど身近な話題になっていないのでしょう。工業団地の多くは日本の総合商社が関与しており、日系企業が進出しやすい環境も整っており、 2億人を超える人口が働き手となり消費者ともなるのです。
世界一ともいえる資源国家インドネシアの輸出相手国は日本が 1位、輸入相手国も 1位が日本です。また、日本はインドネシアへの最大の援助国でもあります。日本人におなじみの更紗柄、ジャワ更紗とも言いますが、発祥はインドのようですが、室町から桃山時代にジャワから伝来したと聞きます。少し遠い南の島々ですが、日本人と深く長くつながっているのがインドネシアです。
セミナー後にこんな質問が飛び出しました。「なぜ制度の複雑さや賄賂はなくらないのか」30年にわたってインドネシアを見続けている大手上場企業の社長の質問です。その他、「ジャカルタの交通渋滞は何とかならないか」「港湾設備が遅れている」「アセアンの他国が投資の優遇策を次々と打ち出しているのにインドネシアは政策的な遅れが目立つ」などなど。インドネシア投資調庁のスララガ副長官を目の前にして一見失礼なような話ですが、それだけ日本とインドネシアは気さくに話せる間柄であり、アセアンの雄として「頑張れ!インドネシア」のエールのようにも聞こえました。
ちなみに 4月末に新しい投資法がインドネシア国会の承認を得てから発表されます。また、 4月から NHKの教育テレビ「アジア語楽紀行」でインドネシア語講座も始まります。
河口容子