[129]人間関係

 先日、国際ビジネスのコンサルタントばかり集まった会合で、中国から日本に帰化した女性のコンサルタントと知り合いました。彼女は北京で政府機関の部長をしていた経験がありますが、昔の部下が今は出世しているため、彼女はいろいろ便宜を図ってもらえ仕事がしやすいと言っていました。何と行けば車も貸してもらえるそうです。もちろん、彼女は有能で素晴らしい性格の持ち主であることは確かです。しかし、日本で、たとえば10年前に退職した部長が仕事で古巣へ現れたとしてもこんな風に迎えてくれるでしょうか。よほどの有名人でない限り、あるいはよほと義理人情に厚い組織でない限り、邪魔者扱いされるだけです。
 日本人のおつきあいというのは、学友、会社の人、近所の人、子どもの親同士など、必要にせまられて儀礼的につながっているケースが多いような気がします。この「必要」がなくなる時、つまり卒業したり、退職したり、引越したりすると、親しかったのが嘘のように疎遠になることがほとんどです。そして一度疎遠になってしまうとなかなか元の関係には戻れないものです。また、病気をしたり、困っていると、友人と称していた人たちも知らぬ間に消え、逆に調子がいいと親しくもないのに昔からのの友人のような顔をしている人まで出てきます。この現象を見て、日本人のおつきあいは損得勘定で成り立っており、きわめて自己中心的な国民だと思うことがあります。


 このエッセイにしばしば登場するジャカルタの友人は10年前私が会社員の頃の取引先です。その後、担当者が変っても、お互いに独立してもずっと友人であり、いざとなったら仕事の頼める相手でもあります。仕事をするときは10年前もそうでしたが、世界一厳しい取引相手であり、だからこそ、お互いへの理解と信頼が生まれたような気がします。また、友人としては損得抜きで、相手やその家族をお互いに徹底的に思いやるという事で長続きしているのだと思います。1 年に1度会えるかどうかですし、何ケ月も連絡しあわない事もありますが、いつでも同じ調子で心を通わせることができます。
 香港のビジネスパートナーたちについても同様のことが言えます。彼らとは友人からスタートし、のちに依頼されて一緒に仕事をするようになりました。仕事ではお互いに鬼のようだと思っていますが、オフタイムでは彼らの子どもたちにとっても「東京のおばさん」です。
 日本人どうしでは、「公私混同はいけない」と言われるせいか、「プライバシー」という言葉が濫用されるせいか、仕事相手と本当の友人になるのは、特に男女間では好奇の目を向けられることも多く、とても難しい気がします。
 今月は母が白内障の手術をしたこともあり不安と物理的な忙しさが重なったのですが、上述の友人たちが大きな心の支えとなってくれました。一緒に真剣に仕事をするということは仮面ではすまされず、本性が露呈するものです。それでもなお良い友人関係を結べるというのはありがたい事です。人間、嬉しいときは一人でも十分嬉しいもの、それよりも辛いとき、悲しいとき、彼らがふと相談したくなる相手であり続けたいと願っています。
河口容子
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