先週、先々週とベトナム出張の話を書かせていただきましたが、帰国後真っ先にする仕事が「Thank Youレター」を書くことです。Thank Youレターはお礼状のことですが、日本語でお礼状と言うと何か形式ばった特別なイメージがありますのでここではあえて Thank Youレターと呼ばせていただきます。現地でお世話になった方々には無事帰国したこと、滞在中の配慮やもてなしに関するお礼を述べます。また、日本から同行したクライアントに対しても出張中お世話になったお礼を書きます。そして、印象に残った事、説明しそびれた事、懸念事項があれば書き添えます。相手が語学力に問題があり、十分理解してくれたか不安な場合はポイントを再度さりげなく書いておくこともあります。ここまですれば、単なる儀礼を越えて自分にとっても出張のまとめとなります。
感動した Thank Youレターがあります。会社員の頃、ニューヨーク、オレゴン州ポートランド、ロサンゼルスと2週間ほどかけて出張しました。帰国後PCを開けるとポートランドで面談した取引先のVIPからのThank Youレターが入っていました。「そろそろ日本に帰ってほっとした頃だと思います。先日はご訪問いただき、また、いろいろ話し合うことができありがとうございました。あなたが下さったチョコレートのおかげで私もちょっぴりスイートな人間になったかも知れません。来月日本へ出張することになりましたのでまたお目にかかれるのを楽しみにしています。」というような内容だった記憶がします。通常は目下から目上に Thank Youと言うべきですが、雲の上のような方から先にいただけるのは「高い評価」を示唆するものであり、またあたかも「お帰りなさい」とでも言ってくれているかのようなタイミングを計っての配慮に思わず頭が下がり、出張の疲れも吹き飛びました。
実はこの取引先は表敬訪問を一切受け付けてくれないので有名です。私としては大切な取引先でもあり、またこの VIPは私を初めての国際会議にデビューさせてくださった恩人でもあるので現地に行った以上素通りはできません。どうしてもお礼を言いたいという念が通じたのか、異例の面会がかない、それも大変温かなもてなしを受けました。感謝の心は連鎖するという良い例だと思います。
香港のビジネス・パートナーが日本への出張から帰った頃にも「無事に帰国されたことと思います。」で始まる Thank Youレターを出します。すると「滞在中はいろいろありがとうございました。慌しくて大変だったでしょう。しばらくゆっくり休んでくださいね。」というような返事が来、気心が知れている仲であっても、お互いに更に快く次の仕事へと移って行けます。こういうメリハリもThank Youレターの効用です。
特別な配慮をしていただいた時、いただきものをした時、ごちそうになった時、まずはThank You レターです。相手に感謝する、これはビジネスでも基本中の基本です。タイムリーに、そしてその人らしい言葉で Thank Youレターをいただくと知性、品性、感性を感じます。電話ではだめか、という方もあるでしょうが、相手が忙しい時に電話をしてもかえって迷惑な場合もありますし、目上の方にいきなり電話をしてお礼を言いにくい場合もあります。今はメールという便利なツールがありますので、私はビジネスでのThank You レターはほとんどメールで出すことにしています。最低 3-5行ですむことですから、これを面倒だなどと言うようであればとてもビジネスなんてできはしません。
Thank Youレターはお詫びやクレームを書くよりははるかに楽なはずです。それなのにきちんと書ける人は案外少ない気がします。感謝を表すことは自分も前向きな気持ちになれますし、もちろん相手をも幸せな気分にさせます。ビジネスや人間関係に行きづまりを感じたら素直に感謝を表現できる自分をまず取り戻すことをおすすめします。
河口容子
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「すみません」というのは奇妙な言葉です。呼びかけにも感謝にも謝罪にも使え、便利であると同時にあいまいさを持っているからです。そして会話の中で相づちのごとく「すみません、すみません。」を連発する人もたくさんいます。会社員の頃、欧米人相手には簡単には謝るな、とよく教えられました。「すみません」と言ってしまえば自分の非を認めたことになり、その償いをしなければならないからです。
まずは習慣からと思い、私は日本語でも「すみません」と極力言わないことにしました。謝るときは「申し訳ございませんでした。」「ごめんなさい。」「失礼しました。」感謝するときは「ありがとうございます。」「感謝いたします。」と言えば良いのです。このほうが感情的にもメリハリがつきます。
会社員の頃、取引をしていた米国の大手企業は辣腕の弁護士を社内にたくさんかかえており、彼らはノルマがあります。契約書の文言をひねくりまわして取引形態を変更することにより自社の利益をふやす、あるいは外国の取引先や場合によっては税関などを訴訟してでも利益を追求するのが仕事だからです。日本人どうしなら信頼関係ができてしまえばあり得ないようなことですが、ある日突然、肋骨と肋骨の間を槍で突付かれたような思いをしばしば経験しました。表現は悪いですが、いちゃもんをつけられたらまず実態を正確に調査し、背後にある思惑をも分析した上で、非があれば素早く謝る、と同時に補償なり対策を提示しなければなりません。時折契約書を読み返し、取引の実態と食い違いが出ていないかチェックする、その企業が海外で進行中の訴訟案件を分析して傾向と対策を練ったりしたものです。
香港のビジネスパートナーの兄弟に上記の話をしたことがあります。兄のほうは「中国人もビジネスにシビアではあるけれどアメリカ人のように 1セントでも多く相手から搾取しようなんて考えないよ。やっぱりアジア人は他人を配慮したり尊敬したりする気持ちがどこかにあるからね。」弟のほうは香港のみならず英国とシンガポールでも開業資格を持っている弁護士ですが、「あなたのように英語で理路整然と論議できる日本人は珍しいね。相手が何人いようと負けないもんな。いいぞ、その調子、頑張れ~。」と応援団です。
一方、日本では謝罪の美学、あるいは形式が問われすぎるような気がします。担当者どうしではお互いに仕方がないと認め合っているようなミスでも企業としては偉い人に頭を下げてもらわないとまずい、上司の捺印のある始末書を出してほしい、などという話になります。内容はどうでも、偉い人が頭を下げた、始末書が提出された、で良しとされる場合も多々あるからです。お詫びの接待狙いという場合もあります。はなはだしきは「いざとなれば謝れば何とかなるだろう」という前提で危ない橋を渡る場合もあります。
先日のボクシングの亀田問題でも謝罪のしかたに「反省の色がうかがえる」だの「あのくらいでは納得できない」などという話題で持ちきりでしたが、それは感情論で本題は背景や原因と今後にあるのではないでしょうか。どうも日本では謝罪という行為そのものが劇場化してしまい、その反響のみが重要視されるきらいがあります。実は場数さえ踏めば、相手に合わせて謝罪など如何様にもできるようになります。私自身は謝罪の技術などには惑わされません。その後の対応に誠意があるかどうかで判断しています。
河口容子
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