[186]公私混同

 最近、中国での企業経営に関する問題点に「公私混同」をあげる方がふえています。私用電話はもちろんのこと、知らない間に家族や恋人が会社に来て本人の仕事を手伝っていたり、娘の勤務先の給湯室で母親が食事を作って娘に食べさせていた等など。日本の量販店が中国に進出し始めた頃、中国人の従業員が黙って商品を持って帰るので日本人の駐在員を増やして見張らせたという笑い話を思い出したりもします。
 私が就職した30年前も、職場では私用電話が結構問題視されていました。「残業をしているふりをして地方の実家によく電話をしている」と陰口をたたかれた同僚もいました。ところが、携帯電話が普及すると堂々と席で私用電話をする社員もふえました。「個人で電話代を払っているのだから公私混同ではない。わざわざ公衆電話へかけに行く離席時間もないのだから会社にとっても良いことだ。」という言い分です。遠距離への電話料がおしくて上司や同僚の目を盗みながら電話をしていた30年前ですが、今では携帯電話機を頻繁に買い替え、携帯電話料金を何万円も払っている人は不思議ではなくなりました。豊かになったといえばそれまでですが、個人と組織のあり方や価値観まですっかり変わってしまったような気がします。
 「会社のお金や品物を私用に使ってはいけない」という概念は徹底したものの、「職場の人間関係はプライベートには立ち入らない」という風潮になりました。昔の職場は家族のようなものであり、時には「余計なお世話」であったり、「親切があだ」になったりもしましたが、上司や同僚が悩み事の良き「相談相手」であることも多かったような気がします。ある程度個人情報を共有し、一日 8時間一緒にいる者なら異変には気付くはずで、こうした関係が心身の病気や事件の防止につながってもいたような気がします。
 今年の秋に、シンガポールのビジネス・パートナーが奥さんと12歳の息子を連れて日本にやって来ることになりました。本人の目的は出張です。「あなたとのおつきあいは長くなると思うので家族にも知っておいてもらいたい。」というものです。最低 1週間は滞在するというので、その間はほとんど仕事ができなくなるのは目に見えていますが、今から案内してあげる場所を考えるだけでも楽しいものです。これは日本流に言うならば公私混同なのでしょうが、アジアの中小企業オーナーとつきあうには家族、友人丸抱えが普通です。
 香港のビジネス・パートナーの兄弟と仕事を始めて 5年近くたちますが、彼らの子どもたちが東京へやって来たのは言うまでもなく、「知人が東京へ出張するから仕事の相談にのってあげて」「 1日観光につきあってあげて」などのリクエストはいちいち思い出せないくらいあります。彼らはいろいろな事業に投資していますので、その中に日本人が関与しているものもあります。この日本人たちを「どう評価するか」というのも最近ふえた依頼事項です。私自身は別に同じ日本人だからといってひいきはしませんので、この日本人たちにとっては煙たい、あるいは不思議な存在のようです。
 上記のシンガポールの人も香港も中国人ですが、彼らのいいところは、都合が悪くて断ってもまったく気にしないところです。また、やってあげた事はきちんと覚えていてくれ、どこかで必ずお返しがくるところが彼らなりのバランス感覚のすぐれたところだと思います。こうしてシーソーのように順繰りにバランス感覚が保たれ続ければどんどん信頼関係は強まっていきます。
 最近の日本の公私混同しない人間関係は一見平等であるかのように見え、仕事と私事を線引きすることにより気楽な面もありますが、ダイナミックな発展性には欠けるきらいがあります。それに一日の大半を費やす仕事の場が無味乾燥なものになってしまうような気がします。しかし、いったん私事を持ち込むと恨み、妬みが渦巻いてしまうのも事実でこれが日本人のウェットさとも言えます。
河口容子

[184]香港人と行く花冷えの大阪

 ハノイから帰国した翌日には香港のビジネス・パートナーの兄のほうが大阪に入って来ました。私も翌朝早く新幹線で大阪に。私のハノイ行きについては約 1ケ月も前に知らせてあったのに、私のハノイ出張と重なるスケジュールを平気で知らせてきました。私の予定をうっかり忘れただけなのか、言うだけ言ってみて自分の思い通りになれば得と思っただけなのか真相はよくわかりません。弟のほうには「言うことばかり聞いていたら大変だから、時々はすっぽかしたらいいよ。」と言われたことがあり、どうも弟が抵抗運動を続けると私にしわ寄せが来るのは前にも書いたとおりです。
 今回の来日時の開口一番は大阪からまだ東京にいる私に電話で「デジカメ忘れたから持ってきてね。」買い付けた商品やディスプレイのしかたをすべて写真に撮るため、私たちの仕事にデジカメは必需品です。ときには何百枚にもなりますので、忘れるなんて、とばかりに私は大きくため息をつきました。
 そして、顔を見るなりの開口一番は「小泉首相の靖国参拝」。どうやらかなりご機嫌が悪いらしく、「このまま放っておいたらいつか戦争になる。日本の閉塞感というのを理解できなくもない。一方、中国人は自分たちは何でもできると思っていた、ところが最近はできないことがわかり始めてきた。この挫折感は非常に深刻だ。」確かに経済の自由化と海外からの投資は眠れる獅子を目覚めさせるインパクトにはなりましたが、所詮は先進国が安い人件費を利用し、巨大市場を狙っただけとも言えます。小泉首相はもうすぐ退任するだろうし、たとえ戦争になったところで日本が負けるに決まっているわけで困るのはむしろ私で彼ではないのに不思議な人だと思いました。
 実は彼ら兄弟が日本を好きなのには理由があります。彼らの父親は広東省の農村の出身で教育もろくに受けることができませんでした。父親が香港に出て来て得たのは日本のカメラ・メーカーのレンズ磨きの仕事です。退職するときその日本のメーカーは日本に来て顧問として技術指導を後輩にしてもらえないかと言ったらしく、そのことが元学者で投資家の兄と弁護士の弟の父親自慢であり、日本企業への尊敬の念につながっているのです。日本企業は幼いときから彼らにとって生活でもあったわけで、中途半端は親日家や日本製品大好き人間ではありません。
 初日はかなり雨が降っていました。 8度くらいが快適という彼は雨でも防水のスポーツウェアを着て傘もささずにさっさと歩きます。一方、私は28度以上にならない限り「寒い」という熱帯仕様で、冷たい雨の中を歩いているとだんだん無口になります。「雨も降らないと農家は困るんだ。ほこりもたたないし、雨もいいもんだよ。まだ、桜が残っていて良かったよ。」「今年は寒かったら花が長く楽しめたんです。一度吉野山の桜を見てみたいです。満山桜なんですよ。」「写真で見たことがあるよ。僕は京都にいつかゆっくり行ってみたいな。」
 2005年 5月26日号「香港人と大阪を旅する」のときに訪れた問屋さんをぶらりと訪ねてみましたが、あの時以来すっかりごぶさたしていたにも関わらず皆さん私のことを覚えていてくださったのはさすが「商都大阪」です。中にはある問屋さんに来ていたお客さんの顔に見覚えがあったので「あの方は昨年おじゃましたときにも来られていたような気がしますが」とオーナーのお母様に話ところ、「やっぱり、そう?あちらさんも見たことある、東京の人やろ?って言うてはりました。やあ、お互いによう覚えてはるもんやねえ。」
 雨の翌日はかなり暖かいお天気で、桜の名所である造幣局の通りぬけが見頃と朝ニュースで聞きました。時間があまったら行きましょうとビジネス・パートナーと約束しましたが、やはりそんなゆとりはやはりなく、疲れた体を新幹線のシートに預けて一緒に夕方から東京に向かうことになりました。
河口容子