[137]香港人と大阪を旅する

 香港のビジネスパートナーの会社のスタッフ Aさんが急遽大阪に買い付けに出張して来ることになり、私も久しぶりに 3泊 4日で大阪に行って来ました。 Aさんは35歳の男性ですが、 2月に大阪の親戚のところへ遊びに来たというだけで日本への出張は初めてです。彼は夜にホテル着、私は翌朝東京から移動し落ち合うというパターンとなり、取引先の近くのホテルを予約したので関空からの移動のしかたやホテルの地図をメールで教え、それをプリントアウトしておき、いざとなればそれを見せて誰かに聞くようにと伝えておきました。香港人の場合は英語ができる上に、漢字が読めますので、看板を識別できるという点では他の外国人よりかなり有利です。また、小さいところで住所さえ聞けばどこへでも行ける香港と同じように思いこんでいる人が多く、結構勇敢にどこへでもひとりで出かけて行きます。
  Aさんとは初対面です。福建省の生まれで、大学を卒業後香港にやって来て、インターネットのホームページ作成会社を起業した頑張り屋さんというのは聞いていました。ビジネスパートナーは心配だったのか事前にこっそりメールをくれ「彼は英語の読み書きは問題がないけれど、話すのは苦手なので我慢してほしい。わからなかったら筆談で。」ビジネスパートナーの兄弟は英国のパスポートを保有しており、兄弟げんかも英語でしているほどのネイティブ並みの英語力です。正直なところ、香港人で高学歴、政府関係者、企業経営者のレベルでも彼らほどの美しくボキャブラリーが豊富な英語を話す人たちはあまりいません。彼らの英語力と比較されると Aさんも気の毒です。しかしながら、出張で意志の疎通が思うようにできないというのは、見えないうちに疲労が蓄積しますし、不安の種にもなります。私は Aさんに日本語の挨拶のマニュアルを作ってあげ、また私自身は中国語のフレーズや単語をふだん書きとめているノートを持参しました。
 ビジネスパートナーからは過去に何人も知人や取引先の人を紹介されましたが、いつも私のことを「几帳面で小うるさい」とご丁寧に事前に宣伝しておいてくれます。そうすれば、「礼儀正しく接し、いい加減な事を言わない」という配慮からだそうです。 Aさんもノーネクタイではありましたが、ワイシャツにスーツ姿、手土産いっぱいという優等生の姿で現れました。
 取引先の 1社は典型的なファミリー・ビジネスでしたが、30代前半の社長が 6年ほど中国で仕事をしていた経験があり、奥さんも中国の方でしたので、思いがけず中国語を交えての商談が可能となりました。横で聞いている私もいつしか中国語での数字はばっちりです。他の取引先でも皆さんありったけの英語や中国語をならべたてて親切にユーモラスに対応してくださり、大阪人の真骨頂を発揮といった感じでした。ちなみに私も小学校時代に1年半甲子園に住んでいましたし、父は広島、母は和歌山の出身ですので奇妙な関西弁は得意です。
 和食好きの Aさんには、「ウエルカム・ディナー」ということで初日会席料理をごちそうしてあげましたが、器や盛り付けはアートのようだと大喜びでした。あとは一般のサラリーマンがふだん食べるものを紹介してあげるのが私の方針ですので、昼は定食屋さんや喫茶店での軽食、夜はそんなにぜいたくではないお店でのしゃぶしゃぶや焼肉というメニューでした。中国人の男性はまめですので、仕事に行くときは荷物を持ってくれますし、手が汚れれば自動的にティッシュを出してくれます。しゃぶしゃぶも焼肉も全部作ってくれますので、アテンドの対象としては世界一楽です。
 焼肉屋さんで韓国冷麺を頼みましたが、器の中に氷が浮かんでいるのを発見した Aさん「これは氷ですか?」とびっくり。香港にも韓国料理はあるけれどもこんなのは見たことがないと言うのです。「中国人は冷たいご飯や麺を食べないからでしょう?」と私。 Aさんは冷麺も結構気に入ったようです。次回は冷やし中華にチャレンジしてもらう事にしましょう。
河口容子

[136]中国ミッションのラッシュ

 愛知万博の視察もかねて、中国からのミッションが次々と来日しています。省、市(中国には上海のように特別市といって省に属さない市もありますが)、区と行政レベルもまちまちで、月に2回は投資セミナーと商談会、懇親会というようなものが東京の一流ホテルで競うように開かれています。ちまたでは反日運動のニュースが踊っていても、いつもセミナーは大入り満員。商談会や懇親会では異業種交流会のごとく名刺交換があちこちで行なわれています。こんな光景は、反日運動の情報に神経をとがらせている在中国の日本人ビジネスマンや中国ビジネスと無縁の方にはちょっと驚かれるのではないかと思います。
 先日は天津市と広州市のミッションがやって来ました。中国では 5千年を見るなら西安、1千年を見るなら北京、 100年を見るなら天津と言うらしく、天津は北京から 120kmの近代史における商都、そして環渤海経済圏の中心でお隣の山東省、遼寧省を合わせると 2億人以上の市場となります。一方、広州市は世界の工場、珠江デルタの広東省の省都、香港とマカオに隣接する中国の「南大門」です。
 最近はこうした商談会を通して、大手企業の CEOクラスの方々とお話をさせていただく機会がふえましたが、何千人、何万人規模の企業の特にハイテク系製造業の CEOとなると考え方も欧米企業とほとんど変らない気がします。英語が驚くほどお上手な方もふえています。
 ひと昔前までは、日本人と中国人は髪型や服装だけですぐ見分けられたものですが、最近は黙っている限りまったく見分けがつきません。会場である男性が私に中国語で話しかけて来ました。私はその方を中国人だと思い、「私は日本人です。」と中国語で言いました。するとその方も「私も日本人です。」と中国でおっしゃり、その後日本語で話し出したという按配です。あちらは私を中国人と思いこんでいたようです。
 このふたつの市のみならず、いつも海外のセミナーで感心するのはきちんと資料ができているということです。手提げ袋にいっぱい資料、最近は書類のみならず DVDがつまっています。時々重くて這うように会場を歩かざるを得ないこともありますが、コストもさることながら準備の時間なども考えると、たいしたものだと思います。
 今回、広州市はお茶にお茶碗、お菓子をわざわざ持って来てもてなすという試みをしました。おまけにお茶碗はお持ち帰り用の布を張ったギフトボックス付です。白地に黄色の縁取りでピンクの牡丹の絵が描いてあり、茶托として使う小さなお皿と小ぶりの蓋付のお茶碗です。女性の参加者に大人気でした。
 日中関係は長い歴史があるだけに、人間と同じく仲のいいときも悪いときもあったでしょう。しかしながら、今や世界が注目するお隣さん同士であり、不仲はお互いのマイナスとなります。衣食足って礼節を知ると言いますが、お互い大人のスマートなおつきあいが続くことを願ってやみません。
河口容子