ある日、香港のクライアントD氏が「日本の赤ちゃん用の粉ミルクの輸入総代理店になれないかな。その先は中国向けブランドのライセンス生産をしたいのだけれど。メラミン混入ミルク事件以来、日本製の粉ミルクを買いたいという人が急増して、おそらく日本の小企業や個人が小売店や問屋から買って送って来ているのだろうけれどそんな量では追いつかない。」と言いだしました。
私は、日本は少子化で粉ミルクはマイナーな商品であること、利用者の数はわかっており一人が急に 2倍も 3倍も飲むものではないので生産調整もきちんとなされているであろうこと、原乳を供給する酪農家が減っており、また値上げもしにくい製品ゆえ政府が補助金を出している、従って急に増産ができないばかりか、日本国内でのニーズを輸入に依存せざるを得ず、輸出どころか中国のミルクの被害にあっているくらいだと返事をしました。日本の粉ミルクメーカーは皆大手企業で中国に拠点を持っていますのでビジネスになるならとうに始めているだろうし、大手企業がビジネスなり寄付なりで動いている様子もない、つまり品薄なのは誰も思いつかないのではなく、それなりの理由があるのだ、と強調しました。
すると、D氏は中国では一人っ子政策なので子どもを大事にする、安全性の高い日本製の粉ミルクを買いたがるのになぜ売らない、となおもしつこく食い下がります。「日本製の粉ミルクを買えるのは一部のお金持ちだけでしょう。それよりも政府がきちんと管理・指導をして安全な中国産ミルクを作ることに専念するのがまっとうな考えかたではありませんか?中国の工場に日本の技術を導入するというビジネスの発想に切り替えるべきです。」
以前にも「中国製の化粧品は信用できないから日本製など外国製を買いたい」というアンケート結果が出たのを見たことがありますが、自国製を堂々と「信用できない」という国民性にはいつもびっくりします。「日本製品は好きだけれど日本人は嫌い。」と言う人も多く、正直なのか身勝手なのかと戸惑います。
こんな話をしているうちに日本の大手企業が中国の食の安全をビジネス・チャンスとばかりに生産、加工、物流のネットワークを作ろうと動き出しました。日本製粉ミルクも販売されるようです。何と 1缶 4,500円。中国産が 1,500円から 3,000円でこれは日本で売られている日本産とほぼ同じ価格帯で、粉ミルクは中国では案外高価な商品だということがわかります。日本メーカーとしては高級品でブランド力を高め、そのうち現地生産の普及品を作っていくのではないでしょうか。
一方、香港の日本酒ブームはいよいよ限定酒にまで及んできました。限定生産、いわゆるレアもので、プレミアムがついて 1本何万円もするものもありますが、小売店によっては 2倍以上の値差があったりもします。開店間近の日本レストラン(香港人経営)があり、限定酒をずらりとそろえたいのだとか。日本人にとって日本酒というのはそもそもその土地を想い浮かべながら飲むもの、それができない香港人はどこに差別化を感じるのかとずっと疑問でしたが、入手しづらいから高価格、というのは確かにわかりやすい差別化ではあります。
河口容子
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米国大統領選はChange(変革)を訴えたオバマ候補が圧倒的な勝利を収め、勝利演説にYes, we can と唱和する群衆が大変印象的でした。日本にはあれほど政治家と群衆が一体になる瞬間がなく、羨ましくさえありました。
さて、私の周辺にも変化が起きています。香港のビジネスパートナー L氏が中国貴州省でトン族という少数民族の保護を行っている事は2006年 6月29日号「夢を紡ぐ人たち」の最後にご紹介した通りですが、今年の 5月に中国系アメリカ人作家エイミー・タンの文でナショナル・ジオグラフィク誌に取り上げられ、また米国の旅行雑誌トラベル&レジャー誌から文化保護という観点から賞をいただきました。この文化保護村に滞在したことのある2001年のノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ氏が推してくれたのも彼の自慢です。ここ数年私財を投じて取り組んできた成果が認められたのか11月から貴州の大学の民族学調査の教授と民族学調査センターの理事に就任しました。もともと芸術家気質の L氏だけに一時は全財産をなくしてしまうのではないかと心配しましたが、やっと広く認知され、めでたし、めでたし、です。
これらはフル・タイムの仕事ですので、ビジネスの運営はどうなるかと言うといよいよ L夫人の登場です。彼女は香港の高校で英語を教え続けていたので彼女にとっても関係者にとっても大Changeです。「それは最強のパートナーを得ましたね。」と私が L氏に言うと「ボスのボスだよ。」と大笑い。
経理関係の資料の説明をしなければと L夫人に早速メールを出しました。すると「直接メールをいただけるとは思ってもいなかったので嬉しいです。私は夫に指示されるだけとばかり思っていたので。本当に長い間お世話になっていてありがとうございます。早く日本に行ってあなたに会いたいわ。息子たち二人と家族全員で日本に行ったことがないのでぜひ行きたいと思います。」写真を見せてもらったことがありますが、良妻賢母の鏡のような女性です。
私も2002年からプロジェクトのお手伝いをさせていただいていること、仕事を通して実に多くの新しい体験をし、学ばせていただきました、と伝えました。それに対し、「夫からはあなたの事をよく聞いています。大変勉強になると申しております。私もビジネスについては何にもわからないので勉強しなくてはね。よろしくお願いします。本当に早く会いたいわね。これからは私のことをミセスLでもいいけど、ファーストネームで呼んでね。」
L氏と出会ったのはまだ会社員の頃の1999年でした。仕事で国内外を飛びまわることが多く、「ご家族に文句を言われませんか?」と冗談で聞いたところ「最初は言われたけど。今はもう慣れちゃった。」と別居同然の生活をずっと強いられてきたこのご夫婦にもやっとと言うべきか、偶然にもと言うべきか、二人三脚の生活が戻りつつあり、何だかほっとしました。
以前 L氏が来日した時夫人の依頼で傘をお土産に買わなければならないので一緒に探してほしいと言われたことがあります。「それでは日本製の高級品を探しましょう。奥さんのお好きな色は?」 L氏は額に手を当てはたと困った顔をしました。しばらくして「赤とピンク。」「本当?」「たぶん。いつもそんな色の服を着てるから。大丈夫、大丈夫。」せっかく東京のデパートまで来て高額の傘を買うのに色くらい確認すれば良いのに、という顔の私を L氏は笑って見ていました。
それにしても、Yes, we can という言葉を L氏と私は何度使った事でしょうか。Yes, I canと自分に気合を入れることもYes, you canと相手にはっぱをかける事もありました。自らを信じること、そして粘り強く続けることをオバマ次期大統領も L氏も教えてくれたような気がします。
河口容子
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