[314]私のChangeとYes, we can

 米国大統領選はChange(変革)を訴えたオバマ候補が圧倒的な勝利を収め、勝利演説にYes, we can と唱和する群衆が大変印象的でした。日本にはあれほど政治家と群衆が一体になる瞬間がなく、羨ましくさえありました。
 さて、私の周辺にも変化が起きています。香港のビジネスパートナー L氏が中国貴州省でトン族という少数民族の保護を行っている事は2006年 6月29日号「夢を紡ぐ人たち」の最後にご紹介した通りですが、今年の 5月に中国系アメリカ人作家エイミー・タンの文でナショナル・ジオグラフィク誌に取り上げられ、また米国の旅行雑誌トラベル&レジャー誌から文化保護という観点から賞をいただきました。この文化保護村に滞在したことのある2001年のノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ氏が推してくれたのも彼の自慢です。ここ数年私財を投じて取り組んできた成果が認められたのか11月から貴州の大学の民族学調査の教授と民族学調査センターの理事に就任しました。もともと芸術家気質の L氏だけに一時は全財産をなくしてしまうのではないかと心配しましたが、やっと広く認知され、めでたし、めでたし、です。
 これらはフル・タイムの仕事ですので、ビジネスの運営はどうなるかと言うといよいよ L夫人の登場です。彼女は香港の高校で英語を教え続けていたので彼女にとっても関係者にとっても大Changeです。「それは最強のパートナーを得ましたね。」と私が L氏に言うと「ボスのボスだよ。」と大笑い。
 経理関係の資料の説明をしなければと L夫人に早速メールを出しました。すると「直接メールをいただけるとは思ってもいなかったので嬉しいです。私は夫に指示されるだけとばかり思っていたので。本当に長い間お世話になっていてありがとうございます。早く日本に行ってあなたに会いたいわ。息子たち二人と家族全員で日本に行ったことがないのでぜひ行きたいと思います。」写真を見せてもらったことがありますが、良妻賢母の鏡のような女性です。
 私も2002年からプロジェクトのお手伝いをさせていただいていること、仕事を通して実に多くの新しい体験をし、学ばせていただきました、と伝えました。それに対し、「夫からはあなたの事をよく聞いています。大変勉強になると申しております。私もビジネスについては何にもわからないので勉強しなくてはね。よろしくお願いします。本当に早く会いたいわね。これからは私のことをミセスLでもいいけど、ファーストネームで呼んでね。」
 L氏と出会ったのはまだ会社員の頃の1999年でした。仕事で国内外を飛びまわることが多く、「ご家族に文句を言われませんか?」と冗談で聞いたところ「最初は言われたけど。今はもう慣れちゃった。」と別居同然の生活をずっと強いられてきたこのご夫婦にもやっとと言うべきか、偶然にもと言うべきか、二人三脚の生活が戻りつつあり、何だかほっとしました。
 以前 L氏が来日した時夫人の依頼で傘をお土産に買わなければならないので一緒に探してほしいと言われたことがあります。「それでは日本製の高級品を探しましょう。奥さんのお好きな色は?」 L氏は額に手を当てはたと困った顔をしました。しばらくして「赤とピンク。」「本当?」「たぶん。いつもそんな色の服を着てるから。大丈夫、大丈夫。」せっかく東京のデパートまで来て高額の傘を買うのに色くらい確認すれば良いのに、という顔の私を L氏は笑って見ていました。
 それにしても、Yes, we can という言葉を L氏と私は何度使った事でしょうか。Yes, I canと自分に気合を入れることもYes, you canと相手にはっぱをかける事もありました。自らを信じること、そして粘り強く続けることをオバマ次期大統領も L氏も教えてくれたような気がします。
河口容子
【関連記事】
[238]エジソン6000回のチャレンジ
[193]夢を紡ぐ人たち
[43]香港一家がやって来た